古い思い出が2017/01/24

公園を散策しながら珍しいモノが目に入った。
戦前の民家が保存されていて土間には昔ながらの竈(かまど)が有り、座敷には囲炉裏が。
子どもの頃、山奥の父の生家を訪れると、こういうのが有ったなと懐かしい。

解放された広い縁側に腰かけて一休みさせて頂くことが多い。
裏口に水を張った古い容器が有るのは知ってはいたのだけど。

よく見たら戦時中の記憶が蘇った。
「防火」の字が右から書かれているから戦前のものだろう。

私が育った町でも塀の外側の勝手口の戸の傍には、黒く塗られた木製の大きなゴミ箱が置かれていた。
戦争が始まってからはその横にコンクリート製の防火用水が置かれるようになった。

無論、焼夷弾が落とされた時の消火のためだ。
そのために家庭の主婦は、在郷軍人の指揮の下にバケツリレーの訓練にかり出された。

まだ女学生だったから参加した覚えは無いし、間もなく家を出て京都での寮生活で戦災に遭わずに済んだ。

でも防火用水の字を眺めて古い、朧になった記憶が蘇る。
しかし、その思い出を語り合い、確かめられる人も居なくなりました。

薄れて行く昔の風景を自分のために書いて置こう と。

コメント

_ みーみ ― 2017/01/24 22:48

美海さんこんばんは(^_^)
小さい頃 水用火防って何 と 親に尋ねたこと 思い出しました 笑 おおきくなってもどうしても 水用火防と読んでしまう 私でしたv(^_^v)♪
今日は ボランティアの日 寒くても皆さんとお喋りしながらの 作業は楽しいですv(^_^v)♪ 今日も イチニチ 頑張りましたーーー

_ アスカ ― 2017/01/25 08:15

珍しい写真です。戦争中のことは、思い出したくない事ばかりですが、当時の国民学校4年生が終戦でした。岐阜県の木曽川中流の疎開先から、その10月には名古屋の伯父宅に戻りました。

_ まさこ ― 2017/01/25 09:05

美海さん、おはようございます。
そうですね~ ありましたゴミ箱。蓋をパカーンと開けて入れましたね。各戸にあったかどうかまでは記憶が確かではないのですが、どうやって回収していたのか、今頃になって興味津々です。
新しいものを取り入れていくうちに、昔の記憶はどんどん薄れていきますね。

_ 美海 ― 2017/01/25 19:14

みーみさんこんばんは(^^)
やっぱり みーみさんはお若い!(^^)☆
我が家には、右から書かれた標題の岩波文庫がまだ残ってます。
ボロボロだけど捨てられなくて(^^;)
この寒い中でボランティア〜☆
エラいなぁ!!!
でもお仲間とご一緒で楽しそう〜(^^)♪

_ 美海 ― 2017/01/25 19:25

アスカさん
私も右から書かれた文字でハッと気が付きました。
あの頃、「国民学校」でしたよね。
疎開も大変でしたでしょう。
幼い方にも苛酷な時代だったと思います。
私もその10月から女専の授業再開、あの時の喜びが忘れられません。

_ 美海 ― 2017/01/25 19:40

まさこさん、こんばんは。
あの黒く塗った大きなゴミ箱、袋にも入れずバンバンと捨ててたみたい。
下の方が開くような構造で、ゴミ回収の車が来てそこから掻きだして持って行ったような朧な記憶。
どんな車だったか記憶無いですが馬車や牛車では無かったと〜?
ホント 記憶は年々あやふやになります。
今度、クラスメイトにでも確かめて見ましょう^^;

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