久し振りの絵筆2019/10/21

水彩画を描きたい、これだけ離れてしまうともう描けなく成りそうな不安を抱えながら、目の前の雑用に追われていた。

脚が悪くなって、アトリエには伺えなくなったけれど、無心になって絵を描く時間は失いたくない。
思い切って一昨日、買い物に出た折にストアの前の花屋さんで小さなマリーゴールド鉢植えを買って帰った。

そして昨夕、まだ片付かない荷物の中から水彩絵の具のパレットや筆を引っ張りだして、描きだしたが難しい。
水彩は、油彩のように塗り重ねての修正が出来ないから苦手だった。
でも 憧れてもいた。

今は環境的な制限も有るから当分これで行こう。
いい機会だと思って。

何とか一枚描いて、うう〜ん。
描きかたを変えて、もう一枚描いてみたが、やっぱり〜
と 諦めて寝た。

今朝、起きて見直したら、昨夜よりはマシに見えて ま 恥ずかしいけれど、これからの励みに添付することにしました。

毎日 一枚を目指したけれど、今日は先月注文した書棚がヤット届いて整理したり、明日はチョット遠出、続いて病院の予約などなど。
老後も落ち着かないものです。

今日は2019/10/18

先日の口腔内の腫れ物を切除の流れでMRIを撮って頂きに病院に。
9時10分の予約に間に合うように、いつもより一時間早く起きて出掛けた。

父が病院勤務の医師だったから、幼い時から病院によく行く機会が有って懐かしい場所だが、変化にはいつも驚かされる。

MRIの機器は何時発明され実用化されたのか、今ネットで調べて見たら1973年からのことが書かれていた。
前の患者さんが終るのをドアの前のベンチで待ってる間に、壁に貼られた簡単な説明も。

去年、手術して頂いてから、もう何度か経験してるから、お馴染みの音に聞き入りながら無事済みました。

今日はコレだけだったので、エレベーターに乗ったついでに9階まで登って外の景色を。
まったく歩行困難なくせに好奇心だけは健在と苦笑してしまう。

夜は久し振りにTVのドラマに見入ってしまった。
「蘭学革命編」で杉田玄白の「解体新書」出版の秘話。

添付写真は病院帰りの道端で撮ったお花です。
そろそろヘタな水彩も再開したいと思いながら。

やっと2019/10/16

10月も半ばを過ぎたのに、まだどんよりと曇り空だ。
でも気温だけは下がって来て秋めいてきて、慌ててクローゼットや引き出しの衣類の入れ替えに一日かかってしまった。

捨てられない性分だから、マッタクウ満杯だ。
この機会に、今度こそスッキリさせたい。
もう着られないモノ、かぶれない帽子、要らないモノが多過ぎる。

こんな時、戦中戦後の物資欠乏のトラウマって凄いなと自嘲してしまう。
生きてる間に、もうあのような経験をすることは絶対無いだろうに。
ま 明日からユックリ考えよう。

風邪が治らないって自重していたけれど、必要に迫られて動いたら却って元気がでたみたいで明日からの希望が湧きました。

今日も写真が撮れなかったので、昔描いた秋の花のスケッチを引っ張りだして。
そろそろ描き始めないと、もう描けなくなりそうで怖いです。

昭和に生まれて(3)2019/10/15

ー最初の記憶 ―
2~3歳になってたと思う。 昭和4~5年だろう。
だだ広い座敷の真中に小児用の滑り台だけがあって隣家の男の子と黙々と梯子段を登り滑る。 また登って滑っていた。
縁側の硝子戸は開け放され涼しい風がそよかに流れ込んでいた。
ただ それだけの光景がぽっかりと。

次には、父が竹棒の先に殺虫液を入れたコップを結わえて天井にに止まった蠅か小虫を退治していた光景だ。
発明好きだった父の考案だったらしく捕れるたびに得意そうにしていた父の顔が浮かぶ。

この家で姉と兄が赤痢?になりお医者さんと看護婦さんが慌ただしく出入りする日が続いた。 
私は罹らなかったが一人ぼっちで黙々と耐えていた。 
姉の昔話では、あの時は貴女が大人しくしていて助かったと母が述懐してたそうだ。

不衛生な環境と親は考えたらしく住宅地に引っ越した。
引っ越しはワクワクする出来事だからよく覚えている。

新しい家はモダンな洋風の家だった。ベージュの壁に赤い屋根で2階の洋室の外はバルコニー、キッチンも洒落ていた。
外国の絵本に出てくる家のようで私は嬉しかったが両親は気に入らなかったらしい。(お隣が絵描きさんだったのはこの家だ)

2年くらい居ただろうか、すぐ近くの新築の家に引っ越す。
我が家は、ずーっと借家住まいだったから新しく家が建つと見に行って気に入ると気軽に引っ越したようだ。 
本家のことがあるから定住するつもりがなかったのか、単純にお金が無かったのか子どもの私が知る由もない。

阪神間は胡瓜の栽培などが盛んで、浜のほうは鰯漁がおこなわれていたのが、大正末期頃からか大阪神戸のベッドタウンとして住宅地に変貌する。
立派な洋館も多かったし、サラリーマン向けの文化住宅や日本家屋といろいろだったが、町並みはそれなりに調和を保って美しかった。

数え年4歳の正月に初めて「オカアチャン」と喋って両親が安心したという私はオクテだったと思う。
生後一年で重いハシカを患いもう駄目かと親は覚悟した話を聞くが無論、覚えてない。 

最初の記憶ってセピア色の写真のような、夢のワンシーンような不思議なものです。
               (2009/07/09のブログより)

添付写真は、一才未満の頃の私。
昭和初期には、手軽なカメラも普及してなかったから日常の写真は殆ど無い。
この小さな写真は、私をとても可愛がってくれたネエヤ(お手伝いさん)が、こっそり写真館で撮ってくれたものと後年に母が笑いながら話してくれた。
私が物心つく頃には、もうお嫁にいかれたのだろう、全然覚えてないけれど懐かしい。

台風去って2019/10/13

昨夜は台風が気になって、深夜1時過ぎまでTVの情報を観ながら
時々 外の様子を覗いてみた。
最初の予報より針路がずれたのか、たいしたことも無さそうでホッと。

でも朝起きてTVで各地の惨状のニュースに胸が痛みました。
昔と違って、建物も河川の防備も整ってると思うのに、自然の脅威を見せつけられた思いです。

ベランダに出ると雲ひとつない青空に彼方の山並みがクッキリと。
昨日、添付した陰鬱な空とあまりに違ってて、思わずカメラを向けた。

徐々に体調も戻って来たら、遣るべき事が山積みだ。
例によって明日こそは〜です。