終戦から75年2020/08/15

あの日から75年が経った。

あの暑い日に、離れに疎開して来られてたご夫婦と一緒に、庭に置いたラジオを囲んで玉音放送を聞いた。

その時の思い出を、私がこのブログを始めた年から何度か書いている。
今、全部読み返していたらこんな時刻に〜。

添付写真は、今日の落日を見ながら終戦の日の象徴のように思われて。
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「2009/8/15のブログより」

昭和20年8月15日は長い長い戦争が終わった日。
昭和6年 満州事変勃発。
昭和12年 盧溝橋事件。日中戦争始まる。 南京占領。
昭和14年 第2次世界大戦勃発(独軍ポーランド侵攻)
昭和16年 太平洋戦争始まる。
昭和20年 日本敗戦

昭和16年12月8日の真珠湾攻撃から敗戦までの4年間は崖を転げ落ちるように食料はじめすべてが無くなり学徒出陣、学徒動員などで勉強どころではなくなる。 

前線は転進、玉砕、特攻隊に並行して容赦ない本土爆撃が始まりついにヒロシマ、ナガサキだ。
明日に希望を持てるはずもなく、ぼんやり死を覚悟していた。

そんななかで迎えた8月15日、玉音放送は雑音でほとんど聞き取れなかったが姉がポツンと「戦争終わったんと違う」と言ったが皆半信半疑だった。

照りつける日差しの中蝉がやかましく鳴いていた。

何時間かして隣組を通じて詳細が判った。
負けた今後の不安より「生き残った」の気持ちのほうが強かった。

夜になって何事にも積極的だった姉が「これもう取っていいんじゃない?」と言って電灯の黒いカヴァーをはずし、窓の暗幕も明けた。

空襲に備えて厳しい灯火管制を強いられてきていたのが、いっぺんに明るくなった。眩しかった。
戦争がほんとうに終わったのだと実感した一瞬だった。

私の敗戦記念日はこんな日だった。 
あのとき一緒だった父母も姉も一緒に玉音放送を聴いた隣人も皆亡くなってしまった。

やっと2020/08/14

今週中にと決めたシュウカツを意識した整理も、何とか九分まで。
来週からは、ブログも読書もウオーキングもと楽しみにしてる。

でも この暑さ! 
涼しい場所と時刻を選ばないと外歩きはムリかも〜
迷惑は掛けられないもの。

整理しながら、昔の書類や書き散らしたモノに、つい想い出に耽ってしまうが、詳しい内容を忘れてることも多い。
子どもの頃、夢中で読んだ本を、ジックリと読み返したくなった。

大好きだった本は、取って置くべきだったと後悔する。
旧仮名遣いの「世界文学全集」が懐かしい。
珍しく、買ってもらった
 一歳仔「イアリング」 大久保康雄訳
青い表紙の分厚い本で、嬉しくて何度も読み返した。
小学生だったと記憶してるのに、今調べたら昭和15年初版で、青い表紙の写真も微妙に違う。

戦災で、失われたものは多いと今回も実感させられた。

今日は終戦の日の前日。いろいろな想い出が脳裏をよぎります。

添付写真は、夏空の子犬のような雲。
外出も出来なくて空ばかり眺めてます。

昭和に生まれて(12)2020/08/12

 夏休み

戦前の小学校の夏休みは8月1日から31日まで。 
8月イコール夏休み!
楽しかったなあ。 一日中好きに自由に遊べるんだ。 
あの頃一ヶ月って永遠に近いくらい長いと思っていた。

宿題は「夏の友」だったかな、毎日の天気を書く欄が有ったり問題を毎日勉強する薄い冊子と絵日記と自由工作くらい。
真面目な子は、毎朝チャンとやってたらしいが、
私は「今しなくてもまだまだお休みは続くんだから」と〜 

楽しい日は、あっというまに飛び去る、
気が付けば月末になっており、31日には切羽詰まって、それでも9月1日は始業式だけだし宿題を提出するのは2日だからと最後まで粘っていた。

その頃の親って放任主義、良く言えば子どもの自主性を尊重してくれて、時たま「宿題ちゃんとしてる?」「うん」それだけ。

怠けた分は自分で何とかしないといけないから最後には苦労したけど思いっきり自由を楽しめた夏の一ヶ月は本当に良かった。
本もいっぱい読めた。 好きな昆虫ともいっぱい遊べた。

今の様に家族旅行の習慣はなかったが、父の本家が岡山の山奥に有って遊びに行くのが楽しみだった。

本家だが祖父も伯父も私の生まれる前に亡くなって広い家に伯母と従兄だけが、ひっそり暮らしていた。
祖父は普請道楽だったそうで、2階の座敷は凝っていた。
夜、座敷の天井を見上げると子供ながらに天井板が立派だと思った。 
今思うと山国のせいもあったかも。

駅から歩いた道から見えた家々も黒光りのした瓦葺だったから豊かな田舎だったのかもしれない。

父の生家は、農家でも商家でもなかった。 
持ち山に先祖代々の墓所が有って帰省するとお墓参りに行く。
母に連れられて幼い時から教会に馴染んでいたから、お盆の行事が珍しかった。 

小学1年生の私は、初めての田舎の何もかもが珍しく楽しくて一人で野山を歩き回っていた。 
広い土間に井戸が有り、土間の片隅のお風呂にくみ上げた水を手桶で運び、お風呂には電気がなくてランプが置いてある。 

そもそも座敷の電気も暗くならないと点かない! 
夜、お手洗いには真っ暗ななかを行く。

私はワクワクすることばかり、伯母さんは可愛がってくださるし、1週間くらいだったと思うが、あっという間に日が経った。

兄は従兄と前の川で水遊びや魚やサンショウウオまで捕って楽しかったようだが、都会好きの姉はもう行かないとあとでこぼしていた。

田舎の自然が大好きになって、3年後の夏休みには私一人で遊びに行った。 
あの汽車が、また良かった! 
トンネルに入る時、出る時の汽笛! 車内は煙でモウモウ〜
山や畑ばかりの景色も美しかったなあ。

流れ去った、80数年の歳月の変化に感慨ひとしおです。

添付写真は、中学生になったばかりの兄と裏山で昆虫採集をした折の写真が珍しく残ってて。

もう一息2020/08/10

今日も、終活を兼ねての書類整理に明け暮れた。
思いあぐねると、iiPadでゲームして息抜きするから、なかなか捗らない。
ま 今週中には何とかしよう。

8月には、子どもの頃の楽しかった夏休みの思い出と、戦時中の重苦しい情景がダブっている。
忘れないうちに「昭和にうまれて」の続きも書いて置きたい。

このところ、読書からも遠ざかってる。
はやく片付けにもキリをつけて、読書三昧に〜
老後の夢だったのだもの。

添付写真は、窓から眺めた今日の夕空。
なかなか外出できないけれど、毎日変わる夕景色を眺めるのが楽しみです。

長崎原爆の日2020/08/09

今日は長崎原爆の日、TVで「平和記念式典」を観ながら独り黙祷する。
自分でも思いがけなく瞼の裏に涙が滲んで、ああ 歳のせいかなと〜
75年前の日本の追い詰められた、惨状と哀しみが蘇える。

当時のことを、大人の体験として語り合える方達は少なくなった。
夫の定年後にアチコチに旅行したのに、九州だけは行く機会が無かったのが残念。

長崎には行きたかったし、女専の寮では熊本、鹿児島の方々も多かったのに〜。
平和記念像も傍に行って観たかった。

あの暗く辛かった夏から、75年が経ったのかと感慨ひとしおでした。

被爆されて亡くなられた方々、白木の箱で無言の帰宅された若いかたがたのことを思い出して、ただただ世界の平和を願うのみです。