「銀の匙」その後2012/01/28

梟
窓際に並べた文庫本用の書棚もそろそろ分類して整理しなくてはとスライドさせて奥を覗いた。
そこで目に飛び込んで来たのが中勘助著の「銀の匙」。
まだ新しい。 昔持っていた戦前の岩波文庫でないことだけは確かだ。
奥付を見ると平成四年六月発行 角川文庫だ。
150の手書きの数字 古本屋さんで何時買ったのか覚えてない。
その頃讀んだ記憶も無いから仕舞ったままだったのだろう。
書店で買うまえに見つかって良かった。

早速讀み始めた。
冒頭の何ページかは昔讀んだときの感触がまざまざと蘇った。
病弱で内気で繊細な男の子と大事に抱きしめるように育てる伯母の愛情が美しい。
明治後半から大正時代の子どもを取り巻く環境や情景は私には解らないが詩情に溢れている。

3時間ほどで読了したが正直疲れた。
私には文学鑑賞能力がもう一つって気がする。
年を重ねて初々しい感性が鈍っているのだとしたら淋しい。
それでも漱石が推奨したのには納得した。

漱石の「それから」の文庫本もついでに見つけたから久しぶりに讀んでみよう。

ウエディングドレス2012/01/26

姫リンゴ
また「カーネーション」だがウエディングドレスの話がでてきて61年前のことを思い出した。
昭和25年には物資も有る程度出回って来ていた。
結婚が決まった私に父代わりの兄がどう工面してくれたのか知らないが和箪笥、洋箪笥や鏡台など一通り揃えてくれて洋服も何着か誂えた。
戦前に結婚した姉のときは毎日のように呉服屋さんが入り浸っていて父が珍しく分不相応じゃないかと洩らし、母が反撃したことがある。
比べれば実にささやかだったけれど3〜4年前を思えば夢のようだった。

式場も日取りも決めて衣装はどうしよう。
誂えたり買ったりする余裕は無論無かった。
母の若い友人が自分の着たウエディングドレスはどう?と見せてもらったら素敵で母は乗り気だったようだが私は迷った。
幼い頃、面長だった私に「日本髪が似合う顔だね」との母の何気ない一言が残っていた。
バカみたいだけど子どもの頃は目がパッチリ二重まぶたの丸顔に憧れていて劣等感持ってたから母の言葉が嬉しかったのだ。

結局美容院の貸衣装で角隠しをした結婚写真が寝室の壁に有る。
額の中に並べてる3代の結婚写真はウエディングドレスが主流で華やかだ。
時代の先端を行くのも悪くなかったかな。 でも後悔するほどのこともない遠い昔のことになってしまった。

残り雪2012/01/25

残雪
明るい日射しに積もった雪がどんどん融けてゆくのを見ていると無性に散歩したくなった。
道ももう大丈夫だろうと勝手に決めて出かけた。
斜面では子ども達がプラスチックのカラフルな橇で勢い良く滑っていて楽しそう。
融けかかった雪だるまも幾つか見かけた。
土日だったらきっと父子連れで賑わっただろうと2〜3年前の風景を思い出す。
少し疲れたけれど楽しかった。

帰宅してアチコチ気の向くままに撮って来た写真をパソコンに入れてブログに添付出来るのあるかなって見てると好きだったのがこの写真。
小学生らしい女の子が雪をかきあつめて何か作ろうとしていた。
冬の午後の日射しが柔らかい。
こんな時に詩を創る才能があればいいなと思う。
若い時から憧れていたが詩も俳句も短歌も入り込めなかった。
言葉に対する感性や拘りが少ないと自分では思っている。

先日「私の現代詩入門」辻征夫著 を讀んだばかりなのでついこんな連想をしてしまった。
見慣れた風景を雪は一味違った世界にしてくれる。

雪景色に2012/01/24

雪の華
目覚めて窓一面に広がる雪景色に心が躍った。
屋根も樹々も白一色、朝日に輝いて眩しい。

生ゴミを出しに外に出ると管理の方が雪掻きをしてくださっていた。
シャベルで手作業は大変そう。 腰を痛めないかしらと心配になる。
何かいい方法ないのかしらと思うけれどテレビで見る豪雪地帯の屋根の雪下ろしの例でも無理なようだ。
通勤する方々も大変だろうな。

その一方でやっぱり白い景色を眺めていると子どもの頃の雪だるまを作った(雪が少ない地だったから泥まじりだったっけ)ことや、体育の時間は雪合戦で楽しかったこと、大きくなってスキーに行った時のことなど次々に思い出が駆け巡る。
今から考えれば貧しい社会だったし試練もいっぱい有ったけれどその中でも楽しかった想い出はいっぱいある。
人の温もりも厳しい時代の方が身に沁みて懐かしい。
決して無駄な人生じゃなかった。
今は申し訳ないほど幸せだが同じくらいに昔も良かったと思っている。

なんか話が違う方向にずれてしまった。
灰色の雲が広がって寒くなってきたせいかな。
ふわふわのクリームケーキを切って熱いコーヒーでもいれて暖まることにしよう。

白内障その後22012/01/23

人形創りにのめりこんでいた頃の
雪に変わりそうな小雨の中、思い切って眼科医院に行って来た。
電車で二駅で駅のすぐ傍なのが有り難い。
白内障手術後の経過を年が明けたら来るようにと言われていたのだが体調がもうひとつで少し遅くなった。

手術したのが昨年の10月25日と27日で31日に退院している。
目薬も4種類を1日4回時間を決めて注していたのが朝夕1種類だけになって楽になった。
もうそろそろ眼鏡新調のお許しがでるかな。
期待して早めに出かけたら開院の10分前について行列が出来ていたが時刻前に受付が始まってあまり待たずに視力検査などをして戴く。
暫くして院長先生の診察と説明を伺った。
順調で眼鏡を作っても良いでしょうとのことでメモして来た気になることのいろいろ
「目と頭が疲れるし、ときどきピントが合わなかったり、目の中がゴロゴロしますが・・・」
我ながらツマラナイ訴えしてるなと恥ずかしかったのに
「使い過ぎですよ。 84歳なんだから」
と笑顔で言われてしぶしぶ「はい」と低い声で納得。
それでも読書とテレビとパソコンを楽しむ私に合った眼鏡の選択をアドバイスしてくださった。

目薬も今のを使い切ったらもう必要ないそうだ。
やっと卒業出来た気分で眼鏡店に行くのが楽しみ。
それでも2ヶ月後には検診にくるようにと釘を刺されている。

都道府県対抗男子駅伝2012/01/22

寒空に
昼過ぎ何気なくテレビを点けたら広島での「第17回全国都道府県対抗男子駅伝」がスタートしたところだった。
兵庫がトップで後どうなるかしらとそのまま見続けてしまった。

広島の市街も懐かしかった。
夫の定年後に二人で国内をあちこち旅行しまくった頃に1度行っただけだが20数年経った今でも広島の風景は脳裏に焼き付いている。
特別の聖地って感じだ。
平和記念公園にはどうしても行きたくて早朝にホテルから歩いたのだが珍しく夫は気乗りがしないようだった。
今考えると大学生の時に依託学生として戦争に直接参加した夫には辛い場所だったのかもしれない。
成人していた夫と未成年で國から強制されて仕方なくと思えた私との間には目に見えない線が敷かれていたようだ。
すっかり新しく生まれ変わった市街は美しかったが昔から住んでる方々の想いは私などには解らないと思う。
話が横道にそれてしまった。

駅伝は抜きつ抜かれつ、予備知識がないから只一喜一憂しながら若い人のひたむきに走る姿に見とれていた。
最終走者になって兵庫が追い抜きそのまま独走して優勝した。
故郷の県ということだけで凄く嬉しくなる。
2位が今住んでいる東京だったのも嬉しかった。
外を見ると雨雲が切れて青空が広がっていた。

「銀の匙」2012/01/21

冬の漁港
今日も霙が舞っていて暗い。
ぼんやり眺めていると前に住んでいた浜辺の景色が無性に懐かしくなった。
坂道を5分ほどくだると小さな漁港でよくスケッチブックを携えて散歩したものだ。

移ろい行く時の流れにちょっとセンチになってるとこへ10歳先輩の友人から電話が掛かってきた。
グッドタイミング!
現金なもので途端に元気になって話がはずむ。
90年前後生きてれば話題には事欠かない。
「最近 小説より随筆のほうが面白くて」
「うん 私もそう 良かったのある?」
「小学生の頃讀んだ 銀の匙 讀み直したの」
「中勘助の 私も小学生のとき以来讀んでない」
「夏目漱石が絶賛していたのよね」
岩波文庫の薄い本が目に浮かんだ。
2円のお小遣いの中から買って大事にしていたっけ。
すっかり忘れていたけど話しているうちに断片的に思い出した。
「私も買って讀み直してみる」
楽しみが一つ増えた。

お互いの母親が羽仁もと子さんの全集買ってたことが判ってそれ関連の話もあれこれした。
一時代前の話が出来る相手は貴重だ。
年齢的には先輩だけど私より若々しい。
いろんな年代の友人から電話を戴くとつくづく幸せだなと思う。

初雪2012/01/20

初雪
起きて先ず目に飛び込んで来たのが一面の白い屋根。
初雪だ。
雪が滅多に降らない地方に生まれたから雪景色にワクワクしてしまう。
空から舞落ちる雪を眺めながらどれくらい積もるかしらと楽しみにしていたが昼過ぎには霙まじりになって樹々に積もりかけた雪も溶けてしまった。
考えてみれば交通機関も車にもその方が良かったのだ。
雪掻きだって大変だもの。

今日は眼科医院で白内障の手術後の経過を診て戴く予定だったが流石に外出は控えて気になっていたパソコン関係の整理をする。
そろそろMacの特約のサポート期間も切れるのではないかと気になっていた。
書類を探し出して(1年余り前の記憶あやふや)確かめると4月までだったので一安心する。
好きなことを自己流にやってるからまだまだ教わって置かなくては困ることが沢山有るのだ。
やたら詰め込んであるデータも外付けのHDに保存して本体をすっきりさせたいのだけど段々考えるのが苦手になって来た。

ブログをプリントして置こうと思い立ったのはヤッパリ活字好き人間だなと笑ってしまう。
2009年の分を一気にプリントしたら黒のインクが切れてこの天候では買いにも行けない。

なんだかんだとボヤキながらも少しずつ遣りたいことが増えて来た気がする。
焦らないでと自分に言い聞かせている。

1段ずつ2012/01/19

室内
小正月も過ぎて掛け軸、色紙、人形も入れ替えて平常が戻った。
屠蘇器や重箱、お雑煮用椀は出さなかったから至って簡単だ。
クリスマス前に買った真っ赤なシクラメンだけが花が増えて華やかさを増している。

滅多に生花を買わないのは短い命を見るのが辛いから。
鉢植えは寿命が長いので少し救われる。
折角だからとF6のスケッチブックを広げた。
1年半のブランクは考えていた以上に大きくて画材を揃えるのからして迷った。
油彩は汚すから無理、重ね塗りのできるアクリルにしたがこれも家具や床についたら面倒だ。
つくづくアトリエで描かせてもらう有り難さを思った。
疲れて中断したがやっぱり気になってパステルで何とか仕上げる。
私などはともかく仕上げないとその時点で永久に終わりだ。
我ながら稚拙な絵になったがこれも一つの思い出、何ヶ月かしたら懐かしく微笑ましく眺めるだろう。

美しい間に今度は水彩でさらっと描いてみたくなった。

阪神大震災から17年2012/01/17

献花
朝日新聞の夕刊を見てハッとした。
「阪神大震災17年」
6434人が亡くなり、女学校のクラスメートと先生も帰らぬ人になった日なのに、その17日だということに気がついていなかった。
忸怩たる思いで落ち込む。
昨年の東日本大震災の衝撃と今日も揺れたさいさいの地震に17年前のことは私の中で風化していってるのだろうか。
それなら哀しい。 
育てて貰った大好きな地と人々に申し訳ない。

昭和13年の阪神大風水害は体験したが、戦災と大地震は遠くに居て難を逃れた。
でも身内や友人の安否を気遣った。
クラス会で当時の話を聞くと本当に大変だったようで、今もその地に住む友人達は月に一回は会食したり旅行に出掛けたりして絆は固いようだ。
ちょっと羨ましくもある。

あの震災から2年くらいしてまだ元気だった兄と姉と一緒に想い出の地をドライブした時は元町も六甲山も復興が進んで賑やかになっていた。
亡くなった方々は還って来ないけど今の阪神間は戦前は勿論、地震前より素敵な街になっているらしい。
遅くなったが震災の犠牲になった多くの方々を忍び冥福を祈ります。