昭和初期の暖房2009/12/17

昭和初期の家庭暖房具
子どもだった頃の家は寒かった。 エアコンも石油ストーブも知らないから冬は寒いのが当たり前と思っていた。
徒然草じゃないけれど日本家屋は夏涼しいようにの構造だから至って風通しが良い。(寒冷地は別だったと思う)
火鉢が主役だ。 茶の間の長火鉢は両親が向かい合って座る。木製で内側は銅板が張ってあり、灰の中に銅壷(どうこ)が設置され、中の湯でお酒のお燗が出来るように蓋がついていた。

説明するのが面倒になったので下手な絵を描いて添付する。
客間用の火鉢は大きくて山水の絵付けがしてあった。 手あぶり用は女性客用。 櫓炬燵は中の素焼きの容器に真っ赤に熾した炭を埋めて布団の裾に入れて暖めた。
小さな鉄製の足温器(正式名不詳)は真っ赤になった炭が3個ほど入れられて子ども達が自分の部屋に持って上がり机の下に置いて足を乗せた。が子供部屋に暖房はそれしかない。頭から毛布を被って本を読んでいた。

小さい時は寝る時だけ姉兄妹が置き炬燵を真ん中に丁の字に布団を敷いて寝たが、少し大きくなってからは湯たんぽになり、そのうち何もなくても苦にならなくなった。

エコが問題になってる昨今だが昔の生活に戻るのは無理でしょうね。
ただ 今の私はエアコンは苦手だ。

コメント

_ カトレア ― 2009/12/17 21:19

〔過去の事は思い出したくない!〕と謂いながら, 此れだけは話せるのが我ながら可笑しい!!  
でも, 姉から聞いた事で、私は幼くて事実を知る由もないが

 ___ トホホ! 前置きが長過ぎる (失笑!) ___  
父は生粋の江戸っこ・ゆえに 『ひ』が【し】になるらしいのだ
___ 【『しばち(火鉢)』 へ『 し (炭火)』 を持っといで】 ___ と。 
命じられた丁稚 は, 階下から『塩』を持って来たとか.. とか..

ミー君の 【昭和初期の暖房】に触発された唯一の笑い話。 (えッ!? 可笑しくも無いって, か!?)   ;;(-。-);; 滝汗

_ Clara ― 2009/12/17 23:41

初めまして。偶然訪問させていただき、火鉢の絵を見てたいへんなつかしく思いました。
寒い時期の火鉢は、置き炬燵と共に、一家団欒の中心でした。
試験勉強の時は、瀬戸物の小さい火鉢を、足の下に置いたりしましたが、家族の数には足りないので、じゃんけんで、順番に回したり、時にはケンカの原因になったり、今では懐かしい思い出です。
素敵な絵を楽しませていただきました。

_ teruo ― 2009/12/18 18:55

おぉ・・。長火鉢かぁ・・。これは知りませんネェ。
後ろに神棚があれば、銭形平次の世界やナァ。
他の暖房器具は記憶があります。火鉢を跨いで暖をとりました。
一番は道路端での焚き火『どんどん』でした。寒い朝の新聞配達は
冷たかった・・そんな時『ぼん、あたって行きぃ』と言ってくれた
『どんどん』を思い出します。

_ 美海 ― 2009/12/18 23:53

生粋の江戸っこさんにはなかなかお目にかかれません。
粋なお方だったのでしょうね。
こちとら 生粋の上方っこで
「し」は「ひ」
七は「ひち」と思い込んでた。
東京に移って息子の小学校の担任に指摘されて
「へ〜 シチだったんだあ」とお勉強!
昔、質屋の看板は「ひちや」だったよ^^)

笑ってもらえてウレシイ

_ 美海 ― 2009/12/19 00:08

Claraさん 初めまして!
お目にとまって嬉しいです。
  も少し 丁寧に絵を描けば良かったと後悔ー;)
火鉢とか置き炬燵の事ご存知なんですね。
昭和30年代はまだ有ったような気もします。
師走には藁や炭俵を庭で燃やして、火鉢の古い灰と取り替えました。 父の唯一の年末の手伝いでした。
世の中、質素だったけど懐かしい思い出多いですよね。

_ 美海 ― 2009/12/19 00:25

まったくう 江戸時代引きずってましたね
卓袱台と柱時計(ゼンマイ巻く)ラジオが文明の利器。
炭入れなんて木下藤吉郎のころと変わってない、

焚き火!
タキビダ タキビダ オチバタキ♫
いい風情でしたが 今や御法度ですね。
通学途中で中らしてもらって身も心も温まりました。

新聞少年でいらしたって 偉いな。

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