昭和初期の元旦2010/01/01

初日の出
元旦の朝は特別な思いがしたものだ。
枕元に揃えておいた真っ新な下着に着替え、一番良い服を来て客間に行くと大きな火鉢の真っ赤な炭火でむっとするほど暖かい。
父は大島の対の着物、母は他所行きの着物を着て座っている。
座卓を囲んで、この日ばかりは皆畏まって、お屠蘇を小さい順から頂く。 私は末っ子だから何時も最初だった。
お雑煮は父の実家の風習で、塩鰤に里芋、大根、人参等野菜たっぷりの味噌汁に茹でた丸餅が入る。
父母はうちのお雑煮は美味しいと自慢していたが 私は苦手だったな。
味噌汁が嫌いな上に、お餅をしょっちゅう喉に詰まらせて苦しい思いをした。 今なら美味しいと思えるのだろうが。

祝い膳がすむと父からお年玉を手渡された。 
戦前はお正月に歳をとるからその年齢の数だけのお年玉だった。
数え年8歳になると80銭?  8円じゃなかったと思う。

学校では元旦の式があった。
    一月一日
一番  年のはじめの   ためしとて
    終わりなき世の  めでたさを
    松竹たてて    門ごとに
    祝う今日こそ   たのしけれ

二番  初日のひかり   さしいでて
    四方にかがやく  けさの空
    君がみかげに   たぐえつつ
    あおぎ見るこそ  とうとけれ

戦前、元旦で歌われたこの歌、覚えてられる方もいらっしゃるでしょう。 悪童たちは替え歌を作って遊んでました。

帰宅するとお昼はおせち料理、今とあまり変わらない。大好きだった。
午後は友達と誘い合わせて年始回り、暮れに子どもも金縁の小さな名刺を作ってもらっていて、それを持って町中の大きな家に行きこの日ばかりは開け放された玄関の漆塗りの名刺入れに置いて「おめでとうございます」と挨拶する。 奥さんか女中さんが出て来て半紙に包んだお菓子を貰った。
お菓子を貰う事より大人のように名刺を置くのが嬉しくて知らない家にも出かけたものだ。 今の物騒な世では考えられない、のんびりしたお正月だった。

昭和初期のお正月の遊び2010/01/02

お正月の遊び 

TVも携帯もゲーム器もなかったお正月休み、子ども達は専ら空き地や道路で遊んでいた。
羽子板は押し絵のついた立派なのは飾り用で、遊ぶのは粗末な木の板に女の子の顔が印刷された簡単なものだった。 家の前の道路で打ちっこする。 ムクロジの黒い種に羽をつけたのを打ち上げると空中で舞うのが優雅だった。 負けると顔に墨汁で髭や○など書かれて大笑いした。

凧揚げは兄貴に付いて行ってちょっとした丘の上で手伝わされた。 ぐんぐん空高く揚がると爽快な気分! 糸が足りなくなると買いに走らされたものだ。 女の子の遊びより好きだったな。

夜はトランプのババ抜きや七並べ、百人一首の読み札で坊主めくりなど。
小学生になると本格的な百人一首で遊んだ。
読み手は父に決まっていた。 取り札は変体仮名で歌の意味はさっぱり解らなかったが、それでも十八番の札を手元に置いて頑張った。
その頃好きだったのは
「立わかれ・・・・・・   まつとしきかば・・・・・」
「たれをかも・・・・・・  まつもむかしの・・・・・」
「あわぢしま・・・・・   いくよねざめぬ・・・・・」
「大江山・・・・・・・   まだふみもみず・・・・・」
「あまつかぜ・・・・・   をとめのすがた・・・・・」
などなど  ひとに取られると悔しかった。末っ子はいつもビリだった。

後年久保田正文著「百人一首の世界」を読んで歌の意味と背景を知って興深かった。
論語じゃないけど、意味が分からなくても覚えるのはいいことだったと思う。

書き初め2010/01/03

2010年の初めに

なんだか急にお習字がしたくなって書き初めには一日遅れたが硯箱を出した。 
水墨画はときどき描いたがお習字は60年ぶりくらいかな。
筆、墨、半紙が有ったのは奇跡に近い。
お手本はいっぱい有る。 昔伯母から貰った「からす丸帖」「源氏物語」などなどは変体仮名で美しいけれど読めない。

やっと 易しいお手本を見つけて書いてみた。
墨を擂って、羅紗の上に半紙を広げ文鎮で押さえる。
小学生に還ったようで懐かしかった。
「意志あれば 道通ず」
お手本から選んだ。 私のパソコンにたいする考えそのもの!
今年はもう少し精神の向上に繋げよう。

年賀状の宛名を手書きしてみて悪筆に呆れたのがキッカケだが、ちゃんとお手本通りに書けない自分に驚いた。でも墨と筆の感触は楽しかった。 記念に添付しますから笑ってください。

もの憂い日もある2010/01/05


お正月もあっという間に過ぎた。
賑やかに過ごして嬉しかった元旦、駅伝に燃えた2日、3日。
おせちにも飽きて、年賀状も終わって、ぽかっと空いた今日。

何もしなくていい こんな日が理想だったのに・・・
久しぶりにCGを描いていたが新しいソフトは使いなれなくてもどかしくてやめた。

何をするのも億劫ってこんな状態なんだろうな。

お酒が好きなら するめでも焼いて一杯呑んだらいい気持になるのかな と下戸の私は想像するが 別に羨ましいわけではない。

昼下がりの窓から見える青空と刻々変化する白雲を眺め、やがて二時間もすれば暮れてしまうこの貴重な時間に何もしたくないのが悔しいのだ。

贅沢! って声が聞こえてくる気がする。 判ってる!

なんてメメシク愚痴ったら何だか馬鹿らしくなって元気が湧いてきた。


”一番美しい絵は寝床の中でパイプをくゆらしながら夢みて、決して実現しない画だ。”
            「ゴッホの手紙」より

新春大歌舞伎2010/01/07

慣れ親しんだこの姿もあと数ヶ月

今年の4月公演が最後になる今の歌舞伎座が名残惜しくて観に行った。  
奮発して平土間!いや椅子席になったからこれは死語かな、要は一階席だ。
開場前の凄い人波に、不景気でも「歌舞伎」の人気は益々盛んなのだなと感心する。
中に入ると大きな鏡餅や餅花が飾られお正月気分が漲っていた。
演し物は
「春調娘七草」 福助、橋之助、染五郎  福助の静御前が愛らしかった。
「梶原平三誉石切」 鶴岡八幡宮なのが嬉しい。 梶原景時には幸四郎が。 品がいい。
「勧進帳」 勘三郎の義経、團十郎の弁慶。豪華配役だ!
「松浦の太鼓」 これは初めて観たが両国の橋のたもとですれ違う宝井其角と煤竹売りに身をやつした大高源吾の有名な出逢いの場。
其角の上の句に 源吾がつけた下の句
「年の瀬や 水の流れと人の身は
      明日待たるる その宝舟」
この場は川向こうに見える家々の雪景色の書き割りが美しかった。
二幕、三幕の吉良邸への討ち入りを待ちわびる隣家の松浦鎭信の風格と愛嬌有る大名ぶりを吉右衛門が好演! 笑わしてくれた。

今はもう昔なじみの役者の孫がたの時代であまり観に行く機会が無くなったが久し振りに豪華な舞台を堪能した。 お膳立てしてくれた友に感謝!!!