人間の落ち葉?2009/12/27

吹き溜まりに積った落ち葉

師走のなかチョッと時間の隙間ができて、真面目なことを考えた。
”医学の進歩が徒に人間の寿命を延ばしてる”という意味の発言がずーっと気になっている。 これを聞いたとき小説「楢山節考」を思いだした。70歳になれば楢山へ捨てに行く話。貧しい村の生活を支える知恵だ。

以前に十何年か寝たきりの老人を見舞ったことがある。 高い所から転落、頭を打ってそれ以来意識はないそうで病院の個室で奥様が付き添ってらした。チューブで胃に流動食を入れる、決まった時間に寝返りをさせて身体を拭く、その看護で床擦れ一つなくただ静かに寝てられた。 経費はすべて労災で賄われていると聞いた。
それから数年して奥様が高齢で病気になった途端にご本人は喉に痰を詰まらせて亡くなったことを風の便りで聞いた。

今、TVで80歳以上の認知症は4人に1人と言っている。
認知症の家族の介護はほんとうに大変だ。働き盛りの方がそれに振り回されている。国の施設や人件費も巨額だろう。 国民の税金だ。
自分はまだ年相応に元気だが社会の役にはもう立たない。

冬になって枯れきって汚くなった落ち葉は、今や焚き火も禁止、焼き芋も焼けない存在だ。
自分自身について考える事は多々あるが、我々は人間なんだから、弱肉強食、子孫を残せばいいっていう動物でもないんだということをよ〜く考えてみたい。

医学の進歩は現実に障碍を持つ方々が社会人として自立することを助けている、やがて認知症にも光が射すと信じている。
誰もが老いる、病気にもなる、障碍者になる可能性もある、その時の生活が平穏な事を信じられてこそ働き甲斐もあり安心できる社会になるのではないだろうか。

現実に疎い高齢者の理想論と言われれば返す言葉はない。