高齢になって2013/02/01

冬の漁港
なかなか会いに行けない友人からの電話は嬉しいものだ。
二三日前に尊敬する先輩から電話を戴いたのだが何だか変だ。
音声がダブっている。 私の話している言葉も少し遅れて聞こえてくる。
録音されたように自分の話してる声が響いてくるって変な気持ちだ。
相手の彼女も同じような状況らしく
「今 お客様がいらしてるの?」
と聞かれたが、会話にならなくて切れてしまった。

気になって電話会社の故障係に電話で聞いてみる。
「これって 私方の電話器の不具合でしょうか?」
違う電話番号を教えて貰ってまた同じ事を聞くと、先方の電話器の感度?を上げた場合起こりうるかも、でもハッキリした事は解らないとのことだった。

翌日もう一度先輩にこちらから電話してみたら、今度は話が通じない。
「どなたですか?」
何度も繰り返し聞かれて、私の発音が悪くて申し訳ないと途方に暮れていたら
「あっ みみさん? 受話器替えたら聞こえるようになったわよ」
ああ 良かったぁ。
離れた地の友人とは電話が通じなくなったらお手上げだ。
聞けば最近はパソコンも開かれないそうだし。
「何をするのも面倒になって・・・」
とっても意欲的な方だったのに少し悲しかった。
「今 何讀んでられる? 面白いのが有ったら教えて」
と聞かれて
「手紙に書いて送るわね」
やっぱり電話で詳しい話は無理そうだったから。

行き届いた立派なホームで羨ましいような環境だけど話し相手がいなくてとは以前から洩らしていらした。
「電話でお喋りしょうよ!」
私もそれを楽しみにしてたのだけど、それが困難になったらと悪案じをしてしまう。
思い過ごしだろうけれど。
さあ 手紙でどの本を紹介しようかな。

高齢になって外出が困難になったとき、近くで気楽にお喋り出来るお仲間の存在は大きいと考えさせられた。

「老いるということ」を讀んで2013/02/02

白梅(昭和17年に)
昨夜は先日買って来た
「老いるということ」 黒井千次著 講談社現代新書
を読了した。
彼のことは作家のイメージしか無くて讀む機会も無かったが、讀み始めると止まらなくて又夜更かししてしまった。

古代ローマのキケロ、カトーから始まって、「二十世紀イギリスの老い」E・M・フォースターの老年についての発想に飛ぶ。
老年の区切りについてはマルコム・カウリーの「八十路から眺めれば」からの示唆がある。
「楢山節考」や伊藤整、萩原朔太郎、幸田文・・私の知らない作家の方の詩や小説にも語られている老の姿にいろいろ考えさせられた。

ここ数年「老い」に関する話題本を買ったり図書館で借りたりして随分讀んだ。
古いのでは
「老化の問題」 フォルケ・ヘンション 岩波新書 1968年
これは寿命学・病理学の見地から書かれている。
最近のは
「老いの幸福論」吉本隆明 「老いの才覚」「自分の始末」曾野綾子 「老いのさわやかひとり暮らし」他 吉沢久子 「老いるとはどういうことか」河合隼雄
捜せばまだまだ有る筈だ。

実感があまり無いのに自分でも驚く年齢になって戸惑って手当り次第に讀んだ。
無論 感じたこと、教えられたことは多く、解らないなりに自分でも模索したが、今回は少し違った読後感だった。

吹っ切れたというのかな、「老」に特別に拘りすぎていた気がした。
これまでいろいろ讀んできた累積もあるのだろう。
自分の一生を感情面でそんなに区切ることも無いように思う。
なだらかな山を最初は何もかもが物珍しく元気に走りよじ登り、危険な目に遇いながらも頂上からの景色は素晴らしい。
降りは疲れた脚を引き摺りながらも美しい夕日も眺める。
それでいいんじゃないの って気持ちになった。

月が替わって2013/02/03

冬景色の掛け軸
二月になったので少し模様替えをする。
御所人形を桐の箱に納め、色紙は少し季節がずれるけれど山茶花、掛け軸は鶴の替わりに水墨画の雪景色を掛けてみた。
若い頃は特別な感慨も無かったが、今観ると簡潔な画面から滲み出る日本の情緒に安らぎを感じる。
短冊は早々に紅梅にしてたからそのままに。

育った家は油絵や水彩のスケッチ、デッサンなどの額が多く季節感は無くて掛けっ放しだったから、京都に嫁いで床の間の掛け軸を毎月掛け替えるのに驚いたが楽しみでもあった。
親戚の日本画家に戴いたのもあるが出入りの商人もよく勧めにきていたらしい。
廊下の棚に無造作に積み上げられているのも有ったな。

結婚後2〜3年で阪神間に引っ越す時に古物商の方に来て貰って多くを処分した。
惜しいなと思ったけれどまだ口出しは出来なかった。
あれから六十年、残ったものも、もうぼろぼろになって恐る恐る広げている。
でも絵とか人形は古びて出る味は捨て難い。

和の情緒もいいなとやっとこの歳になって感じるようになった。

雪景色の軸を選んだが、昨日今日と春のようなポカポカ陽気でちょっと拍子抜けする。

市川團十郎を偲んで2013/02/04

團十朗を偲んで
連ドラを観た後、チャンネルを変えたら市川團十郎の訃報が飛び込んできた。

ご病気のことはいろいろ聞いてはいたが復帰なさっては海外まで精力的に活躍して居られて大きな目をくりくりされたお元気そうな姿をTVでお見かけしていたのに。
60歳代なんて・・・
勘三郎のショックがまだ尾を引いているのにまた淋しくなった。

2010年のお正月に
「歌舞伎座さよなら公演 壽初春大歌舞伎」
を観たのが最後になった。
「勧進帳」は 勘三郎の義経、團十郎の弁慶だったことを思いだして何とも言えない感情がこみあげてくる。
あの時はネットで知り合った20年来の若い友人が誘ってくれたのだ。
歌舞伎座が建て替えられるのが名残惜しくて行ったのに、もうすぐ歌舞伎座は完成するらしいが彼らはもう観られない。

歌舞伎に熱中したのはまだ学生の頃、六代目菊五郎と吉右衛門の時代だ。
初日は通しを半額で観られたから市電の始発の前に南座まで歩いて並んで天井桟敷の切符を買いに行った。
同じ演し物を2〜3回観に行き、六代目は多少気分屋だったという噂があって団体客で落ち着かないときは
「今日は気ぃ抜いてはったね」
なんて通ぶったものだ。

團十郎(先代)、幸四郎、松緑(その頃の名前)の兄弟は憧れだったが團十郎が京都に来ることは殆ど無くて残念だった。
夫の東京転勤で関東に移り住み、子育てが一段落した頃に近所の歌舞伎に詳しい少し年長の方と親しくなった。
一緒に都民劇場の会員になってまた毎月通うようになったが、もう代が替わって戸惑う事も多かった。

それからまた20数年経って今はもうTVで消息を聞くだけのほうが多い。
でも團十郎の存在感は私の中では大きかった。
淋しくなった。

最後に観た公演の想い出の画像をアップ。

本好き2013/02/05

仲良しトリオ
明日は雪の予報に予定を早めて整形外科に行く。
洗濯物を干してぎりぎりにバス停に行ったら友人の姿が見えて嬉しかった。 
話題はいくらでもある。

医院の待合室は今日も満員だったが、本を用意してきたので退屈しなかった。
昨日、家人のところに寄ったとき、テーブルの上に有ったのをパラパラとめくって拾い読みして
「これって 私そっくりかな。 讀みたいような 見たくないような・・・」
と言いながら借りて来た本だ。

「病的に自分が好きな人」 榎本博明  幻冬舍新書
私はチョット違う、でもそういうとこもあるのかも・・
自分で気が付いてないか、ハタから見ればそうとれるのかも。
自己分析しながら結構面白く50ページあまり讀んだところで名前を呼ばれた。
膝のヒアルロン酸の注射も4回目だ。
「お陰さまで随分楽になりました。
 体重増えちゃって減量中です」
と報告すると、くれぐれも一ヶ月に-1kgのペース守るようにと釘を刺された。

終って時計を見ると買い物しているゆとりはない。
仕方ないから1時間後のバスに乗ることにしてブックオフに寄った。
「ビブリア古書堂の事件手帳3」
は確か買ってなかった筈、昨日書棚には2までしか見当たらなかったもの。
105円コーナーには見当たらず350円で求めた。

後は時間つぶしに見て回って古典の再読したい文学書が何冊か有ったから、読む閑ができた時に買いに来よう。
105円のワゴンで讀み損なっていた
「国家の品格」      藤原正彦 新潮社
「世界の日本人ジョーク集」早坂隆  中公新書 
を求める。
新書は嵩張らないしこの価格だと、つい気軽に買ってしまう。

昔は新しい本は出ると飛びついて買ったが、古本屋にもよく行った。 古書店には独特の趣が有って好きだったな。
その頃の古本に比べるとブックオフの本は新品同様なのが多くて清潔感が有る。
先日TVで偶然その舞台裏を見て成る程と感心した。

帰宅したらもう空が灰色になっていて慌てて洗濯物を取り込む。
寒くなって来た。
珈琲をいれて、甘いモノ欲しいところだけどダイエット中だ。