「老いるということ」を讀んで2013/02/02

白梅(昭和17年に)
昨夜は先日買って来た
「老いるということ」 黒井千次著 講談社現代新書
を読了した。
彼のことは作家のイメージしか無くて讀む機会も無かったが、讀み始めると止まらなくて又夜更かししてしまった。

古代ローマのキケロ、カトーから始まって、「二十世紀イギリスの老い」E・M・フォースターの老年についての発想に飛ぶ。
老年の区切りについてはマルコム・カウリーの「八十路から眺めれば」からの示唆がある。
「楢山節考」や伊藤整、萩原朔太郎、幸田文・・私の知らない作家の方の詩や小説にも語られている老の姿にいろいろ考えさせられた。

ここ数年「老い」に関する話題本を買ったり図書館で借りたりして随分讀んだ。
古いのでは
「老化の問題」 フォルケ・ヘンション 岩波新書 1968年
これは寿命学・病理学の見地から書かれている。
最近のは
「老いの幸福論」吉本隆明 「老いの才覚」「自分の始末」曾野綾子 「老いのさわやかひとり暮らし」他 吉沢久子 「老いるとはどういうことか」河合隼雄
捜せばまだまだ有る筈だ。

実感があまり無いのに自分でも驚く年齢になって戸惑って手当り次第に讀んだ。
無論 感じたこと、教えられたことは多く、解らないなりに自分でも模索したが、今回は少し違った読後感だった。

吹っ切れたというのかな、「老」に特別に拘りすぎていた気がした。
これまでいろいろ讀んできた累積もあるのだろう。
自分の一生を感情面でそんなに区切ることも無いように思う。
なだらかな山を最初は何もかもが物珍しく元気に走りよじ登り、危険な目に遇いながらも頂上からの景色は素晴らしい。
降りは疲れた脚を引き摺りながらも美しい夕日も眺める。
それでいいんじゃないの って気持ちになった。

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