市川團十郎を偲んで2013/02/04

團十朗を偲んで
連ドラを観た後、チャンネルを変えたら市川團十郎の訃報が飛び込んできた。

ご病気のことはいろいろ聞いてはいたが復帰なさっては海外まで精力的に活躍して居られて大きな目をくりくりされたお元気そうな姿をTVでお見かけしていたのに。
60歳代なんて・・・
勘三郎のショックがまだ尾を引いているのにまた淋しくなった。

2010年のお正月に
「歌舞伎座さよなら公演 壽初春大歌舞伎」
を観たのが最後になった。
「勧進帳」は 勘三郎の義経、團十郎の弁慶だったことを思いだして何とも言えない感情がこみあげてくる。
あの時はネットで知り合った20年来の若い友人が誘ってくれたのだ。
歌舞伎座が建て替えられるのが名残惜しくて行ったのに、もうすぐ歌舞伎座は完成するらしいが彼らはもう観られない。

歌舞伎に熱中したのはまだ学生の頃、六代目菊五郎と吉右衛門の時代だ。
初日は通しを半額で観られたから市電の始発の前に南座まで歩いて並んで天井桟敷の切符を買いに行った。
同じ演し物を2〜3回観に行き、六代目は多少気分屋だったという噂があって団体客で落ち着かないときは
「今日は気ぃ抜いてはったね」
なんて通ぶったものだ。

團十郎(先代)、幸四郎、松緑(その頃の名前)の兄弟は憧れだったが團十郎が京都に来ることは殆ど無くて残念だった。
夫の東京転勤で関東に移り住み、子育てが一段落した頃に近所の歌舞伎に詳しい少し年長の方と親しくなった。
一緒に都民劇場の会員になってまた毎月通うようになったが、もう代が替わって戸惑う事も多かった。

それからまた20数年経って今はもうTVで消息を聞くだけのほうが多い。
でも團十郎の存在感は私の中では大きかった。
淋しくなった。

最後に観た公演の想い出の画像をアップ。