昔描いた絵を見ながら2013/06/06

紫陽花が咲いていた庭
やっと梅雨らしい空模様だが降らない。
明日はアトリエに行く日だから降らないで欲しいけれど、梅雨らしいしっとりした小雨に紫陽花が映える情緒もイイナなんて勝手なものだ。

ここへ越す前に住んでた家で、絵の友人から「墨田の花火」を葉差しから苗に育てたのを貰って庭に植えたらぐんぐん大きくなって毎年見事な花が咲いて楽しませてくれた。

パソコンの中にその古い絵を見つけて懐かしくて添付した。
忘れたけれど多分CGだろう。
お絵描きソフトも昔のpainter4くらいのときは単純で手描き風に描きやすかったと懐かしい。
ま 使う側の心境の変化もあるだろうが。

パソコンも携帯も3年ほどすれば新しいのに買い換える事になって新しい便利な機能満載だけど慣れ親しんだソフトや付属機器は使えなくなる事が多い。

パソコンとは別にワープロ専用器が有って使い易かったことを思いだした。
操作が単純で、夫が亡くなった後の諸届けなどにとても重宝した。
縦書きの手紙や原稿を書くのも便利だったのに、故障して部品が手に入らず泣く泣く廃棄した。 ネットで買える事は判っていたけれど諦めた。

目まぐるしい進歩についていけないのは歳のせいかな。
グチになってしまった。

アトリエに行く幸せ2013/06/07

女性像(油彩)2回目
天気予報では雨だったが未だ降ってないので携帯傘の軽いのを鞄に入れてアトリエに行く。
電車を降りて信号待ちしている間にポツリと来たが傘を広げるほどではなかった。

今日は四回仕上げの二日目だ。
デジカメで撮った写真を眺めては私なりに膨らませて来たイメージを画面にぶつける。
思い通りにはならないけれど、あれこれ試すのがまた楽しい。

先生が何かに書いていらした言葉を思いだす。

「表現したいものが描けたらやめる。(中略)描きたいイメージは何となくあるんだけど、自分の今の技量でどうなるかわからないからこそ描くのであって、そのイメージを探す行為が面白い」

先生とはレベルが違いすぎるが共感しきりだ。

順番が来て見て戴くと
「うん とってもいいよ」
って珍しく手を入れてくださらなかった。
嬉しくて最後まで大胆に模索してみようって気持ちになった。

でもこの顔はモデルさんに悪いな。
洗練された方だもの、次回の課題だ。

皆の都合が悪くて昼食を摂らないで帰路に。
天気は回復して日射しが暑い。
乗り継ぎの駅で街に出てS堂で絵の具の補充、YカメラでSDカードを、デパートで靴を買った。
近くで穿き易い靴が見付からないとコボしたら家人が教えてくれたので確かに種類も多くて私の足に馴染むのが見付かって嬉しかった。
ついでにカードを作って貰ったりして帰宅したらもう5時半過ぎだ。
昼食は電車の中でチョコと食後の薬(これは欠かせない)だけ。
明朝は体重減ってるかしら。

枇杷の思い出2013/06/08

枇杷の実も色づいて
桃栗三年 柿八年のあとに 枇杷九年と何となく覚えていたが、どうも「枇杷は九年で なりかねる」と言うらしい。
ともかく見上げるほどの大木になってやっと実がなるようだ。

昨日アトリエに行くと駅の近くに枇杷の大木が。
実がたわわに色づきかけているので気が付いた。

見上げて写真を撮りながら18年間住んだ前の家の枇杷の木を懐かしく思い出す。
庭の奥の小高くなった所に大きな枇杷の木が有って梅雨が明ける頃オレンジがかった黄色の実がイッパイなって高枝切りに似た棒で採るのが楽しかったな。
郊外の住宅地ばかりに住んで来たから何もかもが珍しかった。
その根元に登るには草が茂っていてヘビがいないか少し恐ろしかったけれど。

小鳥がよくきてて、特にヒヨドリだと思うのだがよく熟した枇杷の実の裏側は齧られていたりした。
そういうのに限って甘くて美味しいので突つかれた所を大きくえぐって食していたが今ならちょっと怖い感じ。
最後の頃にはタイワンリスが来るようになって食べ尽くされるようになってしまう。 カレラは限度を心得ない。

繁華街の駅の近くの枇杷はそういう被害はないのだろうか。
熟した実はどうするのだろう なんて余計な心配をしながら久しぶりに朝から寛いだ気分にさせてもらった。

スケッチ2013/06/09

初夏の庭で
独り暮らしも結構忙しいものだ。
昨日は、外出が続いた分の掃除、洗濯、料理、片付けをしていたらもう夕方になっていて無性にスケッチしたくなった。

水彩絵の具と水筆などと小さなスケッチブックをバッグに放り込んで出掛ける。
先ず図書館に寄って紹介してくださった本を2冊予約。
幸いな事にどちらも今日の夕方には届くそうだ。

さあ スケッチは何処に行こうかな。
公園に行くには時間がない。
住宅街を歩いていると初夏らしい花々が可憐だ。

名も知らない薄紫の小さな花がクロガネモチと背を競うように咲いているのが可愛くてラフスケッチする。
帰ってからパステルで少し調子をつけてみた。

今週は年に一度の健康診査を予約している。
トレーニングルームにも週に一回は行きたいしアトリエとで忙しくなりそうだ。

時の記念日に2013/06/10

置き時計
六月十日、何だか懐かしい響きに
「ああ 確か 時の記念日」
と古い記憶が蘇った。
今でも小学校で習うのかしら。
  天智天皇10年の4月25日に漏刻(水時計)が設置され、宮中に
  時がつげられるようになった。
  この天智天皇10年4月25日を太陽暦に直すと671年の6月10日
  になるため、大正9年にこの日が時の記念日に制定された。

私が子どもの頃には時計は貴重品で茶の間の大きな柱時計が唯一の掛け時計だった。
振り子がついていないのが新しいって父は自慢していたが毎日踏み台に乗って蓋を開け、ゼンマイを巻かないと止まってしまう。

父は金側の懐中時計を背広のチョッキのポケットに入れて金鎖りをボタンに止めていた。
母は小さな矢張り金側の華奢な腕時計を一つだけ大事にしていた。
子ども達は女学校や中学校に入学すると初めて腕時計を万年筆とともにお祝いに買って貰ってチョッと大人の仲間入りしたみたいで嬉しかったな。
赤い皮バンドで結婚する頃までこれ一つだった。

今はどうだろう。 
狭い家の中に時計が至る所に溢れている。
処分出来ない性格のせいも有るけれど改めて見回して
「いくらなんでも有り過ぎぃ〜」
リビング、寝室、浴室、書斎に掛け時計、玄関に置き時計、枕元とトイレにはデジタル。
時を告げるのは小鳥の声がするのだけで朝7時には壁かけのカッコウの鳴き声に起こされる。

結婚した時に義母から想い出のこもった金時計を戴いた。
貧しい時代で結婚指輪も買えなくて不憫に思ってくれた気持ちが嬉しくて一度も使わないで古びた皮ケースのまま大事にしまっている。
日本が豊かになって来て腕時計も増えて行ったがブランドものには興味が無くてハイテクばかり追いかけていた。
時折々に忘れ難い想い出の腕時計も幾つか・・・。

時の記念日に我が家の時計の想い出に暫し浸った。

時間というものの不可思議さについては、思春期の頃からず〜っと折に触れ考えてきたが本を讀んでみても理解出来なくて70年経った。 未だに縦に続く時間の概念から抜け出せそうにない。