時の記念日に2013/06/10

置き時計
六月十日、何だか懐かしい響きに
「ああ 確か 時の記念日」
と古い記憶が蘇った。
今でも小学校で習うのかしら。
  天智天皇10年の4月25日に漏刻(水時計)が設置され、宮中に
  時がつげられるようになった。
  この天智天皇10年4月25日を太陽暦に直すと671年の6月10日
  になるため、大正9年にこの日が時の記念日に制定された。

私が子どもの頃には時計は貴重品で茶の間の大きな柱時計が唯一の掛け時計だった。
振り子がついていないのが新しいって父は自慢していたが毎日踏み台に乗って蓋を開け、ゼンマイを巻かないと止まってしまう。

父は金側の懐中時計を背広のチョッキのポケットに入れて金鎖りをボタンに止めていた。
母は小さな矢張り金側の華奢な腕時計を一つだけ大事にしていた。
子ども達は女学校や中学校に入学すると初めて腕時計を万年筆とともにお祝いに買って貰ってチョッと大人の仲間入りしたみたいで嬉しかったな。
赤い皮バンドで結婚する頃までこれ一つだった。

今はどうだろう。 
狭い家の中に時計が至る所に溢れている。
処分出来ない性格のせいも有るけれど改めて見回して
「いくらなんでも有り過ぎぃ〜」
リビング、寝室、浴室、書斎に掛け時計、玄関に置き時計、枕元とトイレにはデジタル。
時を告げるのは小鳥の声がするのだけで朝7時には壁かけのカッコウの鳴き声に起こされる。

結婚した時に義母から想い出のこもった金時計を戴いた。
貧しい時代で結婚指輪も買えなくて不憫に思ってくれた気持ちが嬉しくて一度も使わないで古びた皮ケースのまま大事にしまっている。
日本が豊かになって来て腕時計も増えて行ったがブランドものには興味が無くてハイテクばかり追いかけていた。
時折々に忘れ難い想い出の腕時計も幾つか・・・。

時の記念日に我が家の時計の想い出に暫し浸った。

時間というものの不可思議さについては、思春期の頃からず〜っと折に触れ考えてきたが本を讀んでみても理解出来なくて70年経った。 未だに縦に続く時間の概念から抜け出せそうにない。