男女同権・・・2013/02/06

椿に積もる雪
4時過ぎに窓から覗いたときは雪の気配はなかったのに7時に起きたらすっかり雪景色になっていた。 
結構吹雪いていて水墨画の世界だ。
昨日医院や買い物を済ましておいて良かった。
通勤なさる方々は大変だろうとTVの交通情報を見ながら思う。
アトリエは明後日だが大丈夫かしら。

昨夜は大分前に録画した
 「日本人は何を考えてきたのか」 の12回
   ー女たちは解放をめざすー
  平塚らいてう と 市川房枝の軌跡を辿る
を見て引きずり込まれた。

平塚らいてうの
 「元始 女性はじつに太陽であった
  今 女性は月である
  私どもは隠されてしまった我が太陽を
  今や 取り戻さねばならぬ」
の言葉はあまりに有名だがまだ子どもだった私の中では明治時代の古い方という漠然とした記憶しか無く、あらためてその一生を見て打たれるものが有った。
市川房枝さんのことは戦後の参議院選挙の折やその後のご活躍で共感し尊敬していた。
結婚して(昔の家長制度に反対して入籍せず)子どもを育てられた平塚らいてうと生涯独身だった市川房枝とは男女平等の視点が少し違って感じられる。

自分を振り返ると子どもの頃から漠然とした不満を感じたり、女の子である利点もチャッカリ利用していたふしがある。
戦時中学徒動員で行った工場で、年配の工員さんから
「専門学校に行ってても女より小学校出たての工員のほうが偉いんだよ」
一緒に聞いていた数人が頷いたのが情けなかった。

戦後女性の参政権が認められたが、あれはアメリカが決める前に日本の閣議で決まっていたことも初めて知った。
女性も建前は平等になったが戦後3年ほどして地方公務員になったときに席順を決める段になって主任が
「学歴は上でも女を上席にするわけには行かない、困った」
一緒に採用された男子が高校卒だったのだ。
係長が怒って
「円座にしよう」
と列の真ん中に自分の席を作って収まったが今考えても馬鹿らしい話だった。
私達の世代は男女同権を叫び続けて顰蹙を買うことも多かったし後の世代からは今更って批判されたが、当時を知らなければ誤解されるのもやむを得ないと納得する。 何か死語に近いな。

権利は責任を伴う。
男性社会のなかでの男性の大変さも歳を取るとともに理解出来るようになった。
人格的に平等なら夫々の特性を生かして行けば良いのだとも思う。

TVを観ながら久しぶりに若かった頃を思い出して、そんなことを考えた。

朝、ベランダから遠くに見え雪の中の椿の赤に惹かれて撮った写真を。