同志社に学んで2013/09/09

母校の想い出
NHKの「八重の桜」も同志社設立の話まで進んで来た。
卒業してから半世紀はとうに超えているのに矢張り懐かしい。
京都は伝統の古い土地だけど先進的なことも受け入れる自由さが有ると思いこんでいたが、設立当時は大変だったことを改めて知った。

昭和5年に発行された「同志社五十年史」を懐かしくて開いて見る。
山本覚馬氏の写真や尽力されたこと、八重さん、山本佐久さんのことも載っていて感慨深い。
受験前に讀んで以来熟読すること無くて茶色いしみだらけだが大河ドラマのお陰で親近感を持って再讀できそうだ。

ついでに古いアルバムを開くと数少ないけれど当時を思い出して見入ってしまった。
ことに添付写真の石碑
「良心之全身ニ充満シタル丈夫ノ起リ来ラン事ヲ」
入学前にこの石碑を見て心が震えこの学校に入りたいと思った。

戦時下の思想統制のもとで礼拝、英語の授業を続け伝統の校風を守ることの大変さをその当時でさへ感じられたが受難には強い歴史がと納得。
昨日のドラマで「同志社」の名前が決まる由縁が出て来て、今更のように好い名前だと嬉しくなった。

あの3年間の想い出は私には特に懐かしくて折に触れ書き留めておきたい。

コメント

_ カノン ― 2013/09/12 02:10

美海さんも 想像していた通り同志社の卒業生だったのですね。

 同志社に入りたい!念願が叶い 遠い親元を離れて12才で我が家に来た孫娘も12年間を同志社で過ごし 社会人になり巣立っていきました。 姉の後を追って又 5才違いの孫息子迄 祖母の私が育てることになろうとは夢にも思いませんでしたが その孫も アッという間に3回生!大変な毎日でしたが いろいろな楽しい行事にも参加して 孫と共に同志社ライフを満喫させて貰いました。

同窓会報によると ファウラーチャペルも竣工当時の姿に復元され見違えるような美しさです。

美海さん 是非又京都に来て 今一度すっかり変わった同志社の姿をご覧になっては如何ですか? 活気があってピチピチとした学生さんの姿を いつも羨ましく眺めていた私は間もなく喜寿。

60才から子育ても終盤を迎えようとしていますが 華やいだ青春のような老後を 娘から贈られたのかも…と感謝です。

_ 美海 ― 2013/09/12 08:37

カノンさん 嬉しいです!!!
何時かは母校に関係ある方が讀んでくださるかしらと淡い期待を抱いていました。
おマゴさん、12歳で親元を離れて入学されたって凄いですね!
今、マゴ息子さんの親代わり・・
偉いなぁ  羨ましいです。
来年にでも京都に行ければ是非今出川を歩きたいです。
またお話を伺わせて下さいね。
同窓会報を見ても遠くなったなと感じます。

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