東京オリンピックの思い出2013/09/11

凌霄花 (のうぜんかずら)
昭和15年のオリンピックが東京に決まった時私はまだ小学生だったが日本中が喜びに湧いていた。
やっと日本も世界に認められたという感じだったのか、夏休みの絵日記の表紙にクレヨンで五輪マークを描いたのはそれ以前のことだった。
それだけオリンピックに対する関心が子どもにも有った。
東京に決まった頃の少女雑誌には「世界から見えるお客様に恥ずかしくないお洒落をしましょう」と言った意味の記事が出たりした。
深いことは無論子どもに解るわけは無く女性のスポーツ選手に憧れた。

日中戦争(当事は支那事変と言っていた)が泥沼化し国際情勢が怪しくなって日本が開催を辞退したニュースは何時聞いたのだろう。
がっかりした。
間もなく世界中が戦争の渦に、日本もスポーツどころではない悲惨な経験をして、やっと少し立ち直った時に昭和39年の東京オリンピックが実現した。
夫が東京に赴任して4年目、息子達は小学生になっていた。
TVに色がついた頃だ。
今から見れば世間一般の生活レベルは低かったが三波春夫の東京五輪音頭 に盛り上がった。
TVで食い入るように眺め、後で映画でもう一度感激を噛み締めた。
確かにあれで庶民は希望と感激を貰った。
2020年の東京にまた聖火がやってくるが・・・・。

昨日散歩途中でラフスケッチいたノウゼンカズラにTVに取り込んだ写真を見ながら彩色してみたが矢張りその場でないと描き難い。