ガリ版2010/05/20

ビワとワイン(ペン画)
連ドラ「ゲゲゲの女房」に謄写版が出てきて、よくあんな古いものが残っていたと感心した。 尤も小道具はもっと古いものも備えているから当たり前なのだろう。

懐かしいな。
小学生の頃には、テストの問題やお知らせの類いは全部、教室に備え付けの謄写版で先生が刷られた。
我々は「トーシャバン」と呼んでいた。
テスト用紙の時以外は、皆で先生を取り囲んで、刷り上がっていく様子をワクワクしながら眺めたものだ。
時折り、休み時間や放課後に「手伝って」と指名されると大喜びで居残りした。 1枚づつ刷り上がった用紙をめくるぐらいの手伝いだったが大人になった気分で嬉しかった。

謄写版の仕組みは
蝋を引いた原紙を平たいヤスリを埋め込んだ板の上に置き、先の尖った鉄筆で字やイラストなどを書いていく。
鉄筆がヤスリを引っ掻く音で「ガリ版」だ。
蝋をひいた原紙には縦横の経線が細かく印刷されていた。
鉄筆で文字を書いた原紙を、ドラマにも出てきた機器を開けて設置し、上に細かい編目の蓋を重ねる。
傍らにドロッとしたペンキ状のインクを入れた浅い箱があって紙の幅のローラが。 そのローラにインクをつけ、網の上を上下に転がすと、原紙の鉄筆で書いた所だけインクが染みだして印刷できる、
一枚刷り上がれば、めくって次。 それでも手書きよりは遥かに効率が良かった。

ながなが説明したが30年前くらいまで使用されていたそうだから、ご存知だったかも。

就職してから これをよくやらされた。
原紙を切るヤスリは片面が斜め状の細かい目で、裏返すと縦横の目だった。 達筆の人は斜めの目の方を使うが悪筆の私は縦横の目を利用して活字体のような字で誤摩化していた。
戦後間もないころは文章も、漢文調を語尾だけ無理に口語体にしたような。
ネバネバのインクが付くと取れないから、黒い腕カバーは必需品だった。  
ワープロが出現し、パソコンがそれに替わって、昔、10人でやった仕事が一人でもっと効率よく出来るようになった。
一部の人には安定感の失われた世知辛い世の中になったのではないかと思うときがある。

コメント

_ smoky ― 2010/05/20 16:55

こんばんは(と、いう挨拶も、今や『こんばんわ』が多いですね)。ガリ版、懐かしいです。学級委員の時に居残りして、ちょっと気になる女子とカリカリと書いて刷りました(笑) 回覧板や学校からのお知らせも、ガリ版のお知らせが多かったです。

その後、効率一辺倒の世の中にいつの間にかなっていましたが、コンビニでチケットを発行できたり、振り込みをネット上でできたりと、便利なことも多いのは確かなんですが…「必死で時間内に多くの事をこなす」ということに、正直首をかしげています。

皆がせせこましく走り抜けていく時代に、ブログを拝見すると、ココロが立ち止まって「おい、待てよ」と言ってくれそうで、心地よいです。

_ 美海 ― 2010/05/20 17:57

おお ガリ版の経験お有りでしたか。
イイ思い出お持ちのようですね。 
私までほのぼのしちゃいました。
実用性が無くなった後、ガリ版で版画してる方の話聞きましたが
今は昭和の記念館のようなとこでしか見られないでしょうね。
木製の汚れたの思い出すと無性に懐かしいです。
貧しさを別けあった時代と能力で判別される時代。
どちらが良いのか 考えるだけで結論はでません。

_ peko ― 2010/05/22 03:01

東京オリンピックの年に生まれた私も、小学校の文集はガリ版印刷で作りました。
文字を間違えた時に塗る薬が、赤チンみたいだったのを覚えています。

もしかしたら、赤チンも死語かしら!?

_ 美海 ― 2010/05/22 08:31

ガリ版って昭和40年代も健在だったのですね。
あっ 修正液にはしょっちゅうお世話になってました。
赤チンと呼んだか 記憶あやふやです。

でも本物の赤チンはよく塗りました。 転んだり、引っかけたりして生傷の絶え間なかったですから。
懐かしい言葉に電子辞書見たら、マーキュロクロムの別称、赤いヨードチンキと出てました。 マーキュロクロムは水銀を含んでいるので日本では製造中止になったとか。
横道にそれてしまいました。

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