熊の置物2010/06/01

古い陶器の熊
高さ10センチくらいの古びた陶製の熊が今も飾り棚の一隅を占めている。 もう64年経つかなあ。結婚して、引っ越しを何回もしたけど 何となくずーっと傍に置いてきた。
描いてみると特に可愛いわけじゃなくて、森のオヤジさんて感じなのに人参を大事そうに持ってて笑ってしまうのだが。

戦争末期に学徒出陣が決まった兄が私の居た寮に来て、街に行こうと誘った。 繁華街は店を閉めている所が多かったが兄について歩いた。兄と二人だけでなんて初めてだったかも。
兄がポツンと「好きなもの 買ってやるよ」と言った。
当時の兄は旧制高校3年生だったからそんなにお金持ってなかったと思う。
私は暢気に
「じゃあ ○○堂に行こう」
高級感のある洒落た置物などが置いてあって、いいなと思いながら横目で見てきたお店だ。
そこでオルゴールを選んだら
「もっと 買っていいいよ」と何時になく優しい。
「そんなら この熊」
高いから遠慮していたのだ。
奥の棚に飾ってあるのをガラス越しにイイナと見ていたので嬉しかった。
店をでると兄はさっさと帰って行った。私も特別な事は何も言わなかった。

暢気そうにしてたけれど私だって解っていたのだ。
この前家に帰った時、兄の部屋を覗くと机の上の紙に「無」といっぱい書きなぐってあった。 いけないものを見てしまった思いですぐに襖を閉めた。
形見のつもりなんだと解っていたから有り難うも言えなかった。お互い不器用だったなと思う。 若かった。

兄は数ヶ月で外地に遣られる前に敗戦となり、終戦後1ヶ月してぼろぼろの軍服姿で無事帰ってきた。
同じ土地の大学に進学して、あの店のある繁華街や映画館で擦れ違った。 私は同級生と、兄は高校からの親友と連れ立っていたから声は掛けなかったが、お互い開放感でウキウキしていた。懐はさびしかったけど。

兄と形見の話などしたことなく、60年が過ぎ、兄は先に逝ってしまった。
私はオルゴールは終戦の混乱で無くしてしまったっが、この熊の置物だけはずーっと毎日眺めて、時々あの頃の事や兄のことを思い出す。

パステルで2010/06/02

公園広場の緑
お天気がいい。昨日久々に熊の置物をスケッチしたら、何だか公園の緑を描きたくなった。
昨夜テレビで見たドガの影響もある。 ドガは目が悪く60歳後半では殆ど見えなかったという話は初めて知った。
そのためパステルを愛用したそうだ。 彼のパステル画の光の表現を見て私もパステルで描きたくなった。
 バレーの衣装の表現にはピッタリの画材だと思う。
風景のスケッチに向いてるかどうか解らないが、パステル用のスケッチブックをやっと探し出し、パステルと一緒にカートに入れて公園に行った。 
水彩のように水を持参しなくていいだけ楽だ。

相変わらず足が痛むから遠くには行けない。 近くの広場のベンチに腰掛けて1時間あまりスケッチした。
う〜ん 難しかった!
私には水彩の方がまだマシかなぁ。
スケッチする度に落ち込む。
試行錯誤を繰り返すよりしかたないだろう。
そのうち 自分の好きな表現に近づけるかも知れない。

とかボヤキながらも6月の爽やかな大気の中で、広場を一人で占領して緑を描くのは楽しかった!

個人情報は2010/06/03

小さな孤島
昭和初期の個人情報を尊重するという意識が薄かった、或る意味でおおらかだった時代に育った。
戦後だって同窓会名簿も電話網も存在していた。
いつの頃からだろう、電話によるセールスに応対するのが面倒になって電話帳に載せなくなった。
ネットを利用するようになると迷惑メールに悩まされたりして、極端に用心深くなった。
地域社会との関わりも 成る可く避けたい気持ちが大きい。

生まれた土地に根付いた生活をしている方々は、きっとその土地に対する愛着と安心感が有るのだろうと想像はできるが、親や夫の転勤でアチコチの都会を転々とした私には煩わしさの思いが先に立つ。
「隣は何をする人ぞ」の自由気侭な都会の生活が性に合っているようだ。 無論 市民としてのマナーと義務は果たしているつもりだ。

話が横道にそれたが 言いたかったのは、先頃ネットへのアクセス情報で必要と思われる商品の情報を個人に送れるようになると小耳に挟んだからだ。 要するに効率よく個人のニーズに応えて宣伝出来るという事なのか。
私の誤解かもしれないが、盗聴されるような不快感を覚えた。
うかうかと好奇心でネットのあちこちを見るのは自戒しなくちゃ。
今でもお墓のセールス電話や私の個人情報に見合ったいろいろのセールスに悩ませれているのだから。

ときどき無人島に行きたくなるが 弱虫の私には絶対無理!
今は家人と社会のお世話になりっぱなし、これからは益々そうなるだろうから大きな事は言えないが、個人情報は守って静かに暮らさせてと言いたい。

人生の戦友達2010/06/03

モンステラとピアノ
子どもの時からの友達と会う機会は少ないが電話で長話をする。
お互い主婦の現役の頃はそんなヒマがなくン十年ご無沙汰していても幼友達は気心が知れているから空白時間はすぐに飛び越えて話がはずむのだ。
この歳になると親友の何人かは亡くなっているから、残った者は長い年月を生き抜いてきた戦友という気がする。
話題は今何に興味があるかとか、人生観とか 近況などとりとめないが、家族の話は殆どすることがない。 陰口や愚痴とは無縁だから話が楽しい。

でも電話の声は元気だけど、皆、歳相応に身体に何らかの故障を抱えているのだ。
最近電話した友は、退院したばかりで ずーっと医療用のパック詰めの流動食しか食べられないの と笑いながら言っていた。
「今 何して楽しんでる?」と聞くと
「ピアノ弾くのが一番楽しみ!
 前は知ってる曲ばっかり弾いてたけど、今は新しい曲を1年ほどかけて弾けるようになったときの達成感が嬉しいのよ」
彼女は本当に強い!
息が苦しくなって動けなくなる事がしょっちゅうなのに、独りで「家族に来て貰ってもなおる訳じゃないから、迷惑はかけたくないわよ」 と笑ってる。

或る友は心臓が相当悪いらしいのに何でもない顔をして人の世話をするために電車であちこち遠出をしている。

ダンナさんの病院通いに付き添って 未だに車を運転している友もいる。 彼女自身だって相当足が痛そうなのに。

子どもの頃はそう思わなかったけど、知らない人が見れば普通の歳相応に見えるかもしれないけど 内に秘めたバイタリティは凄い! 死生観もときに聞くと偉いなと思う。
私なんか未だ悟りきれず ヨワッチくて恥ずかしいな。
この歳になって解ることも多いとつくづく思う。

「ともかく 長生きして人生楽しもうよ」と私は言い続けているだけだ。

絵と歳など雑感2010/06/05

夕日に輝く富士と海
アトリエで、油絵の具を手は勿論、衣服のアチコチに付けながら夢中になっていたら、久しぶりの仲間が隣に来た。 ダンナ様の介護の大変さは聞いている。 小声で「来られてヨカッタね」と囁いた。
終わり頃に彼女が「絵を描いてる時間てホントいいよね」と呟いた。
痛いほど解るんだなぁ その気持ち。
私も辛かったとき、そして今も絵に救われている。
同情の言葉なんて聞きたくない。
「そうだよね」と相槌打った。 そして笑顔で別れた。
彼女は私よりずーっと若い。

ここからは全然別の話。
最近私は老齢になって絵はかえって華やいでくるのではと思う事が有る。
以前、展覧会で老大家の鮮やかな色紙を奔放に散らしている絵を観たときに私はまだ中年だったが素敵だと思った。
開き直るというか生身の叫びが聞こえるような迫力を感じた!
色彩が派手になるのは目が衰えるからという説も聞いた事が有る。 例えばグレートーンの微妙な違いのニュアンスが感じられなくなるとか。素人の聞きかじりだ。
だが 私は明るく派手なものが好きになった。
西の海に落ちて行く夕日に照らされた雲や大気、海の輝きをこよなく美しいと思うようになった。
絵に描く空は透き通るような明るいライトブルー、地上はポピーの花のような黄色やオレンジ色を画面に溢れるように描きたい!
キラキラと輝く明るい世界を描きたいと思うのはやがて去り行くこの世への賛美なのか? 未練なのか?
ま それほど深刻に考えている訳でもない。

昨日泊めてもらった家人との会話、
「お買い物用のカートが傷んできたから買い替えたいんだけど良いお店ないかしら。 どこに行っても気に入ったのがないのよね」と私。
「どいうふうに気に入らないんですかぁ?」
「うん 何だか年寄り臭いのよね。おばあさんぽいっていうか」
言った途端に自分の歳を思い出して フキダしてしまった。
二人で大笑い、でも今日はデパートに夫婦して付き合ってくれたが やっぱり欲しいようなのは見つからなかったな。