結核2010/05/21

追憶
夫の弟さんの命日だった。
昭和22年、大学最後の年だったと聞いている。
夫とは年子で小学、中学と双子のように同じ制服を着て並んだ写真がいっぱい残っている。
無論私は会ったことがないが義母からも詳しく話を聞いているので親しみが有った。
いつも成績はトップで中学4年から旧制高校に合格したそうだし、写真から受ける感じはとても穏やかそう。 健在なら夫はどれだけ心丈夫だったろうか。
成人したての息子さんを失った義母の心中は察するに忍びない。
死因は肺結核だった。

当時の若者は結核になる人が多かった。
ツベルクリンもBCGも世界的には普及していた筈だが私は受けた記憶がない(忘れているのかも)
女学生のとき軽い肺浸潤になって暫く静養したが、それで免疫が出来たと言われた。クラスでも罹った人は多かったように思う。
その頃、本家の従姉(お父さんに早く死なれて父が後見人になっていた)が良縁に恵まれ結婚の日取りも決まって親戚中が喜んでいたのに急性結核性脳炎で急逝した。
優しいお姉さんで私は慕っていたから ほんとうに哀しかった。
戦後まもなく復員してきた従兄弟が、やはり結核になって日赤に入院した。 見舞いにいくと元気そうだったが、父は借りてきたレントゲン写真を診て、難しい と呟いているのを聞いてしまった。 どんどん悪くなって亡くなった。 これからというときに希望も夢もいっぱいあっただろうに。

当時、結核と診断されるのは癌と同じくらい絶望的だった。
もう忘れ去られているが、油断は禁物と最近言われてはいる。
でも ともかく医学の進歩は凄いなと思い感謝だ。

義弟のお位牌を出しながら、いろいろのことを思い出した。

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