昭和に生まれて(10)2020/06/14

「宝塚の思い出」
昭和初期の阪神間の子どもの楽しみは宝塚に連れて行って貰う事だった。
母親も一緒に楽しんでいたと思う。 

今のディズニーランドみたいな存在だったかも。
たしか動物園も有ったというかすかな記憶、
大きな館内には遊戯場も有りパチンコなどのゲーム機で兄と遊んだ。

珍しく父と二人で行った時は温泉に入っただけ、
それもまだ小学生にもなってないのに女湯に一人で心細かったのに
肝心の劇場には行かず,子供心に恨めしくて未だに覚えている。

やっぱり宝塚は母と姉とに付いて行くのが良かった。
阪急の宝塚駅で降りて劇場の有る会館まで桜並木の道を歩くと
その頃制服だった紫の袴を付けた宝塚の生徒さんたちとすれ違う。 

そして劇場に入ると舞台の前に円形の花道がせりだしていて、舞台と花道の間にオーケストラの楽団が、こちらは男性ばかりだ。
客席が暗くなって緞帳が上がると もう夢のよう、華やかな世界が繰り広げられた。

天津乙女、小夜福子、葦原邦子などの全盛時代だった。
ラインダンスは楽しく、フィナーレの大階段から背に羽根をつけたスター達が次々と降りて来るときは、こちらも亢奮の絶頂!
その夜は目を閉じると舞台の情景がまざまざと再現された。

太平洋戦争が始まるとパリーの光景は軍隊ものに変わり、やがて慰問団として転々としたと聞いた。

私の宝塚経験は女学生の頃で終わったが、友人たちは戦後、ずーっと続いてアメリカ公演まで追っかけしていて、東京に来たおり誘われて数十年ぶりに帝劇に観にいった。

背が高くスマートになっていたが雰囲気は全然変わってなくてタイムスリップしたみたい 懐かしかった。
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まだ蟄居状態で、資料も手元に無いままですが、宝塚の事がチョッと話題になって昔の事を懐かしく思い出しました。
2009年のブログからの引用で、当時は未だ添付絵も小さかったです。