遅咲きのシクラメンを見ながら2014/03/01

遅咲き
今日から3月弥生だ。 気持ちだけは春めいてくる。
ベランダの隅に置きっ放していた去年のお正月用に買ったシクラメンがひっそりと蕾みが出てきた。
現金なもので部屋の中に入れ窓際の温かい所に置いて栄養剤のチューブをさしてやる。

そして昨日から開き始めた。
遅咲きだな。 いやこれが自然なのかな。
暮れにあれこれ色を考えて購入したのと殆ど同じ色だったのに笑ってしまう。
来年のお正月用はガラッと変えてみようかなと鬼が笑うようなことを考えた。

ふと、人間もその人なりの花咲く時期は夫々なのかなと思った。
子供の頃そんな話を讀んだ覚えが有る。
 ご隠居曰く
  「人間誰しも一番輝く時期が有るものなのです。」
  「私はこの歳になるまでなかったですが・・?」
  「生まれたばかりの時だったから覚えていないのでしょう」

いつも華やかだった姉や兄の陰に隠れ、クラスの子が健康優良児の日本一に選ばれたときは後ろで万歳してる写真が新聞に載っただけで母は喜んだ。
いつも陰に居て勉強のできない子と仲が良かった。
目立たないように独りで本を讀んでいるときが幸せだった。

つくづく性格って変るモノだと思う。
芯は同じかも知れないが現れ方は年代によってこれほど変化するものなのか。
超無口だったのが、今は人一倍のお喋りだ。
笑わ無かった子が今はカバーの写真のようにノー天気に笑いっぱなし!
そしてこの歳になって本を出版してもらえた!
人生って何が起こるか判らないから楽しい。

柄にもなくこんな恥ずかしいことを書いたのは子ども達や若い人が努力しても何もイイことの無い人生だなんて考えて欲しくないと言いたいオセッカイ心だ。 照れてしまう。

好い日曜日2014/03/02

可愛いお雛様ケーキ
久し振りに少し遠くの家人が来てくれた。
お互い忙しくて元旦に会って以来だが、この度の出版のことを凄く喜んでくれている。
ヒマゴの写真もイッパイ見せて貰って成長振りにメロメロになった。
マゴやヒマゴって無条件に可愛いものだ。

一日早いおひな祭りにと彩りの美しいちらし寿司に菜の花の小さな莟がついたお浸しや鶏肉のつくね?などなどを作って持ってきてくれた。
お手製のちらし寿司なんてホント久し振り。
私はもう作り方も忘れてしまったな。
美味しかった!
ケーキは小さなぼんぼりの横で見上げてるお雛様が可愛くて口にするのが躊躇われて写真を撮った。

午後、旅行から帰ったばかりの近くの家人も来てくれて話が弾んだ。
それを聞きながら幸せ感がこみ上げる。
夫の写真の前の私の本の見本の横に何気に置いてくれた珈琲カップ。
彼は皆が集まってくれるのを何より楽しみにしていた。
珈琲は彼がいつも淹れてくれたなぁ。
私より上手だったから。

余韻を噛み締めながら、今日は遅くなったブログを書いている。
好い日曜日だった。

三月三日に想うこと2014/03/03

小さなお雛様
私には、三月三日は みみの日なんて秘かな思いいれがある。
22年前にネットさんにお願いしてシニア向けの新しい電子フォーラムを開設して頂いた時に開設日は3月3日にという我が侭なお願いを聞いて戴けて嬉しかった。
素敵な方々にお会い出来て楽しみを戴きながら勉強させて頂いたことへの感謝は尽きない。
故人になられた方々への哀しみとともに世の中も変って、今はブログが私の楽しみと勉強の場になっている。

お雛祭りは、関西の子どもの頃の習慣を引き摺っていて長いこと四月三日に祝ったものだが、やっと最近は慣れてきた。
でも雛人形の掛け軸や色紙などを掛けても四月までそのまま。
もう行き遅れる心配なんて無いもの。
今朝、小さな古い木目込みのおひな様を飾ってささやかに気分を味わった。

昔は母が嫁入りのときに持ってきた立派な御殿造りのお雛様を嬉しそうに飾っていたが、古めかしくて子どもにはその良さが解らず関心も無かった。
今見れば美しさが解ったのにと思うと残念だ。

昭和初期の阪神間て日本全体から見ればハイカラな地だったと思う。
輸入港を控えてたし、新開地だから自由な雰囲気で欧米文化の影響の強い地だった。
そのせいか日本古来の美しい風習に親しまずに育ったような気がする。

後年、京都で生活するようになって常識の違いを随分感じたものだ。
あまり女の子らしくなかったなとお雛様を眺めながらの感想だ。
むしろ男女差別への不満のほうが大きかったな。

それが年齢と共に変化してきたのも面白い。
明日はそのことを書いてみようかしら。

小休止2014/03/04

春近し
朝から青空が広がってきてリビングの奥まで日差しが温かい。
じっとしてられなくてリュックに小さなスケッチブックなどを放り込んで公園に出掛けた。

流石に大気はまだ冷たい。
ここ2〜3日閉じ篭り勝ちだったから覿面に膝と腰が痛い。
毎日歩かないと固まってしまうのだろう。
手術後に、
「少しづつでも歩かないと寝たきりになるから」
と言われて必死に病院の廊下を往復したことを思いだす。
痛くっても散歩くらいはしなくては・・・。

富士見台からチョコッとスケッチして、ついでに足を伸ばしてストアで新鮮なお魚や果物を買う。
リュックで助かった。

二時間の散歩で6000歩あまり、心地良い疲れだったな。
考えたり書くことが多い上に本まで讀んで固まっていた身体も心もほぐれた感じがする。

明日からまた頑張ろう。

凛とした紅梅のように2014/03/05

紅梅
朝から小雨がしとしと降っている。
昨日羽を伸ばした分、遣るべき事が溜っていてこの時間までアタフタしていてブログを書くのが今頃になった。

つくづく事務処理能力の低下を感じる。
もうお勤めはできないな。 歳考えれば当たり前の事だけど。

今回の本の打ち合わせと写真撮影などでスタッフの方々がいらして下さったときの事を思いだす。
初めてお目にかかったブックデザイナーさんやフォトグラファの方々がお若くて吃驚する。一度お目にかかっている編集長さんもお若い。
そしてフリーの編集者さん、助けにきてもらった家人、私を含めて全員が女性だった。
すぐに打解けて和気藹々の雰囲気が充満して楽しかった。

男性がどうって言う気はサラサラないが、女性特有の感性って、言葉にしなくてもス〜ッと通じて気楽に話が出来るところが有る。
個性様々だから、たまたま一緒になった6人が年齢や専門を超えて相性が良かったのかな。

私を除いて全員、自分の生きる技能をしっかり持って自立してる。
大変な事も有るのだろうけれど自信に満ちて爽やかだな。

昭和初期には、教師、医師、薬剤師などの道に進むごく少数派を除いて女学校を出れば花嫁修業、二十二〜三で親の薦める結婚をするのが常識だった。

若い人に「昔はシュウカツってどうしてたのですか?」聞かれて時代の変遷を痛感したことがある。
私は戦後に卒業して二年ばかり洋裁学校に通った後に結婚するまで県庁に勤めたが、まだ男女差別があった反面若かったから可愛がってもらった。
本当の仕事の厳しさを知らない。

今、堂々と仕事をしている女性が輝いて見えるが大変な面も有るのだろうことも想像する。
でも、矢張り羨ましかったな。

昨日、道すがら撮った紅梅の凛とした美しさに彼女達の姿が重なって思いだされた。