「楽老抄」を讀む2013/12/11

ダイナミックな夕焼け雲
昨日は、まだ午後の4時過ぎなのにリビングの窓いっぱいに広がった夕焼け雲の迫力に圧倒された。
バーミリオンとジョーンブリアンそれに少しバイオレットを加えて表現出来るかな等と考えているうちに刻々と変化する。
「人生振り返りセミナー」の余韻のせいか夕焼け雲に人生の終盤を重ね合わせて観ている自分に気付く。

未読の本が珍しく溜まっているので図書館のリサイクルで貰って来た
「楽老抄」田辺聖子 集英社 1999年発行
を夜、讀み始めたら懐かしい作家の方々の名前が出て来て感慨深くて一気読みしてしまった。
藤沢修平さん、司馬さん、吉行淳之介さん、佐藤愛子さん・・・
それに阪神大震災のことなど。
書かれてから14年の歳月を感じる。
川柳作家の麻生治郎氏のことも書かれていて
「しがみつくほどのこの世でなかりけり」の句も懐かしい。
昔、若かった父母が師事していて句会の機関誌に選句が載っていたことを思い出した。

大阪言葉と神戸の風俗と言葉はやっぱり味が有る。
ご近況を知りたくなってネットでみたら石山寺のイベントに出席されたお写真は車椅子以外は変って居られない。
私より一歳お若い。

さあ 今日から師走も中盤、あっという間に今年も終わりそう。
徹底的な身辺整理は来年にまわして今年こそ年賀状などを早めにしなくては。

読書雑感2013/12/12

豊かな気分になる
読書について考えていたら12年前に書いたエッセイもどきが見つかって懐かしかった。
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     「読書雑感」 
最近読書が人生にどれだけの意義があるのかとあらためて考える機会があった。

私は字を覚え始めたという記憶がない。
ものごころ付いたときはもう本を讀んでいて読書は生活の半分くらいを占めて今日に至っている。
人と話したり、旅行したり、自然を愛でたり、喜びや哀しみに遭遇して人生について考えたりするのと同じレベルで本を讀み活字になった言葉の醸し出す世界で遊び、新しいことや違う考えを知ってきた。
本が好きだから讀まずにいられないだけだ。
(中略)

幼時旧約聖書物語りの人々やパレアナ、ハイジ、アン、セドリック、セーラー、ジョン、モ-グリーたちに出会えたことは幸せだった。
本のなかに友達がいれば現実の交友関係や学校でイヤなことがあっても大して苦にならなかった。
これは逃避かもしれないが少なくとも今自分のいる所は世界のほんの一部だと感じていた。
別に漫画でも映画でもよいとは思う。
 
人生に疑問を感じる年頃になれば、これはもう哲学書をかじるしかない。
解っても解らなくても。
解らなかった。  でも讀んだことで一応の納得をした。
漱石と芥川を嘗めるように讀んだ。鏡花に酔い、世界文学全集に没頭し日本の戦後文学をむさぼった。
ミステリの謎解きに狂い、今はエッセイに興味がある。
大きな書店の本棚を眺めるとわくわくし、その中にぎっしり詰まった内容を考えると気が遠くなる。
本ほど安いものはないと思う。
本中毒に近い。
その私が読書についてとやかく言えないですね。

読書も趣味の一つ。 人間性を豊かにし人生を楽しむ一つの部分だと思う。

読書についてなど書く気になったのは、最近蔵書をサッパリと処分したという人の話を聞いたのも一つのきっかけです。
我が家の一間幅の廊下の両側の本棚は天井まで本で溢れ文庫本は二重になっている。
処分したらと言われ続けながら愛着は捨てられない。
読書も好きなら讀み返して古ぼけた本も実にいとしい。
「解脱」には程遠い煩悩と執着の塊りではあります。
                     2001,12,30
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晦日によくこんな物を書いてる余裕が有ったな。
この3年後に古い家からマンションに越して一番のネックだった本の山は家人が引き受けてくれた。
引っ越して10年、何時の間にかまた本が溢れている。
用心して成る可く図書館で借りるのだが哀しいことにすぐ忘れてちょっと読み返したい時に無いのは淋しいものだ。
ま ネットで概略をみればある程度思い出せるのは有り難い。

読書の傾向は時代と年齢によって変ることも痛感する。
ただ幼い時に讀んだ本が今も手元にあったらどんなに嬉しいかなとよく思う。

完成までもう少し2013/12/13

人物3回目(油彩)F15
アトリエから今帰って来たがもう真っ暗だ。
女性像も今日で仕上げたかったが無理だった。
つくづく難しいと思いながらも少しづつだけど前進してる感じがする。
まだ楽しむ心境より迷いの方が大きいけれど。

昨日は20年来の絵のお仲間、彼女の方が教室の先輩なのだけどお歳はずっと若い方から電話を貰った。
個性的な好い絵を描かれてたのにご主人の介護で来られなくなって数年が経つ。 
辛くて大変なことなのに彼女はよくやっていて話を聴く度に尊敬してしまう。
昨日も、明るい声でいろいろ話してくれた。
「絵 描いてる?」
「全然よ。 もう描けないわ」
彼女が描けない気持ちも解る気がした。
空白のダメージって思ってたより大きい。
再びアトリエで一緒に描ける日が来ることを心から願った。

買い物もして帰宅したら、もうクタクタだけど今日も行けたことの幸せを感謝する。

想い出の詰まった小さな本2013/12/14

母の想い出
先日、田辺聖子さんの本の中の麻生治郎氏の川柳から母のことに思いが飛んだ。

昭和34年に母は亡くなっている。
57歳になったばかりだった。 
父を見送ってからの12年間は殆ど独り暮らしだったが慣れない土地だったのに交友関係は広かった。
いつのほどか支局勤めの若い新聞記者さん方とも親しくなり、教会や友の会の友人も多くて楽しそうに見えた。

癌が見つかって亡くなったあとに新聞記者の方々が想い出の本を作って下さった。
母の散文と川柳と、友人や家族の想い出話を纏めて下さったのだ。

昨日、川柳を読み返したくて書棚の奥から出してきた。
父母が麻生治郎氏の句会に出るようになったのは昭和2年頃からとある。
私の産まれた年だ。
「川柳雑誌」に掲載されるのは何時も母の方が上席だ。
父の句は理屈っぽいのが多かったらしい。

父が亡くなってから何年かして「川柳雑誌」に投稿して麻生治郎氏ご夫妻との交流も復活したらしい。
この小さな想い出の本に、麻生治郎氏と奥様の葭乃さまも想い出を書いて下さっている。

母の川柳
 「うちの子が小さく見える入学日」
は私のことだ。

表紙の絵のサインをよく見たら姉が結婚するまで師事していた小出卓二先生だった。
戦争をはさんで皆離ればなれになったと思っていたのにこの時は健在でいらしたのだ。 懐かしい。

想い出を書いて下さった母よりお若かったお友達方も今は教会の墓地で仲良く眠っておられる。

自分の書いた「さようなら お母さん」を読み返して不覚にも涙が溢れた。 不肖の娘だったなと。
それにしても長生きして多くの身内、友人を見送って来た。

師走も半ばに2013/12/15

ゆり根
昨日の午前中は亡き母の想い出でしんみりしたいたが、心尽くしの品と美味しいお弁当持参でマゴが遊びに来てくれた。
途端に元気が出る。
嬉しかったな。 イッパイお喋りして気が付いたら夕暮れに。
若い世代の話は余り聞く機会が無いし、新鮮な刺激を貰う。

幸せ感を噛み締めながら土曜は夜更かしして今朝は朝寝坊。
近くの家人ところへ顔を出す。
最近讀んで良かったと思う
「ジヴェルニーの食卓」原田マハ 集英社
の話をしたら
「私も大分前に讀んで好きでした」
「えっ 私って最近の作者に疎いのよね。或る方に教えて頂いて買ったのよ」
「偶然、彼も買って讀んでて、早く言ってくれればいいのに二重になってしまって・・・」
仕事忙しいそうなのに、こういう本も読んでるんだと妙に感心した。
「それって二冊あるってこと?」
「いいえ 電子辞書ですから」
ああ それで目に留まらなかったのだと納得した。

その替わりに
「ある奴隷少女に起こった出来事」ハリエット・アン・ジェイコブズ  
              大和書房
「一日で讀めちゃいますよ」って貸してくれた。

帰りに図書館に寄って予約本到着のメールがきていた
「あとかた」 千早茜 新潮社
を受け取る。

じっくり読み返したい本と、どれから讀もう。 
嬉しい悲鳴だ。

添付画は昔描いた日本画の「ゆりね」。
それらしくないけれど幼い字でそうかいてある。
茶碗蒸しが戴きたくなった。