想い出の詰まった小さな本2013/12/14

母の想い出
先日、田辺聖子さんの本の中の麻生治郎氏の川柳から母のことに思いが飛んだ。

昭和34年に母は亡くなっている。
57歳になったばかりだった。 
父を見送ってからの12年間は殆ど独り暮らしだったが慣れない土地だったのに交友関係は広かった。
いつのほどか支局勤めの若い新聞記者さん方とも親しくなり、教会や友の会の友人も多くて楽しそうに見えた。

癌が見つかって亡くなったあとに新聞記者の方々が想い出の本を作って下さった。
母の散文と川柳と、友人や家族の想い出話を纏めて下さったのだ。

昨日、川柳を読み返したくて書棚の奥から出してきた。
父母が麻生治郎氏の句会に出るようになったのは昭和2年頃からとある。
私の産まれた年だ。
「川柳雑誌」に掲載されるのは何時も母の方が上席だ。
父の句は理屈っぽいのが多かったらしい。

父が亡くなってから何年かして「川柳雑誌」に投稿して麻生治郎氏ご夫妻との交流も復活したらしい。
この小さな想い出の本に、麻生治郎氏と奥様の葭乃さまも想い出を書いて下さっている。

母の川柳
 「うちの子が小さく見える入学日」
は私のことだ。

表紙の絵のサインをよく見たら姉が結婚するまで師事していた小出卓二先生だった。
戦争をはさんで皆離ればなれになったと思っていたのにこの時は健在でいらしたのだ。 懐かしい。

想い出を書いて下さった母よりお若かったお友達方も今は教会の墓地で仲良く眠っておられる。

自分の書いた「さようなら お母さん」を読み返して不覚にも涙が溢れた。 不肖の娘だったなと。
それにしても長生きして多くの身内、友人を見送って来た。