アトリエへ2013/12/06

人物2回目(油彩)F15
アトリエに行く日なのに珍しく30分寝過ごして7時に起きる。
昨晩に全部用意していたから慌ただしかったが何時もの電車に乗れた。

小学生の頃から数年前まで前日に揃えて置くような躾の好い人間ではなかったのに、必要に迫られればやるようになるものだと笑ってしまう。

病後に復帰してから思うように描けなくて悩んでいたが初心に還って素直に描いてみようという心境になって気持ちが楽になった。
先生に手を加えて頂くと本当に良い勉強になる。
アトリエでは若いお仲間が増えて長老になってしまった。

昼食を頂きながら戦前、戦中の話でも盛り上がったが年齢の差が出て面白い。

帰りの電車の中では届いたばかりの月刊誌「選択」12月号をゆっくり讀む。
世界の情勢に疎い私には些か刺激が強いが少し視野が広がる気がする。
独り暮らしは情報が偏り勝ちと自戒、少しでも多角的に広い知識を得たいものだ。
昼食の時にちょっと政治的な話になったら年齢の近いお仲間が
「あと せいぜい10年位の私にはあまり関係ないよね」
と笑いながら言ってたけど うん それもそうだな。
若い世代に期待しよう。

明日は病院の予約時間に遅れないように起きなくては。

術後の定期検診2013/12/07

アートのような木肌
今年になって独りで通いだした術後の病院検診も今回で無事に一年が終わった。
道順もちゃんとインプットされてもう迷うことも無い。

例によって待合室は他にすることがなくて読書には最適だから嵩張らなくてチョット難しい本を持って行く。
「世界の名著」中公新書
マキアヴェリからサルトルまでの著書のダイジェストだ。

昭和20年前後の学生は皆、哲学に嵌まっていて讀まないと恥ずかしい感じで判らないながらも名前だけは覚えている。
周囲の男の子は大学の哲学科に行きたいと言って父親から
「どうやって食って行くのだ」と反対されたりしていた。
流行していた高校生の歌の デカンショ節 は 丹後篠山の盆踊り歌から デカルト カント ショーペンハウエル にもじったものだ。
思想統制が厳しく、死を常に間近かに感じていた当時を思い出す。
私など一応は読んでも理解出来なかったり忘れたりしているが懐かしく、中にはしっかり讀みたくなるのも有った。

横道に逸れたが、主治医の先生に呼ばれ気になってることをメモして来たのを伺う。
「素人判断ですが、どうも心理的なものも有るような気がして」
「術後の後遺症と関係無さそうだから、そうかも知れないですね。
 最近はちゃんと病名が付いて薬も有りますから試してみますか?」
私が神経質なのは先生もよく解って下さっているから安心して処方して戴く。
二ヶ月後を予約して次回はCTを撮りましょうと言われた。
定期検診が無事に終わってホッとした。

さあ 師走の大掃除頑張って、溜っている本を讀んで絵もイッパイ描きたいよ。

開戦の日2013/12/08

不安
またこの日が巡って来た。
昭和16年、今年も無事に終わるかと思っていたのに早朝のラジオの緊迫した放送に驚愕が走る。
長引く日中戦争、ABCD包囲網で石油は輸入出来ず、庶民の暮らしは苦しくなり打開策が有るのかと重苦しい日々だった。
女学校の2年生だった少女が理解出来ることには限度が有ったが先行きの不安は感じていた。

ラジオから流れるうわずったアナウンサーの声がハワイでの華々しい戦果を繰り返し、勇ましい軍歌が流れる。
中学生の兄もすっかり興奮して、新しいニュースを聞き逃すまいと二階の自室と茶の間を往復していた。
父だけが「まさかなぁ」と苦笑しながら憂慮している様子が気になった。
私は不安はあっても新しい展開に対する期待と高揚した気分になっていた。
敗戦までの4年間の地獄のような苦しみの始まりとも知らずに。

世界中を悲劇に巻き込んだあの時代は何だったのだろう。
何十年経った今も、どうして世界中が賢く仲良く出来ないのだろう。
現代の閉塞感が開戦前の想い出とどこかで繋がって不安だ。
人類があの頃より進化していると信じたい。

鯛を捌きながら2013/12/09

鯛を買う
いつも賑わっているストアで珍しく鯛が安かった。
半値近くて鮮度をしげしげと眺めたが何時もと変わりない。
久し振りに捌いてみようかなと買い求めた。

結婚するまでは料理をしたことがなくてテキストを見ながら変な物を作っていたが50年主婦している間には一応は人並みになった。
でも独り暮らしになってからはアッと言う間に返上している。

ま 鯛はさして大きい魚ではないから簡単だ。
鱗引きも出刃包丁も出してくることもないと何時もの包丁で鱗をとり、3枚におろしてお刺身にする。
手順通りに手が勝手に動くから不思議だ。
あら煮が好きだから、そちらに身をたっぷり残した気楽なお造りだ。

昔は師走になれば三浦の卸市場で荒巻鮭などやマグロの大きな塊の冷凍(解凍にはコツがある)やその他もろもろをどっさり買い込んだものだ。
京都人間は鱧が大好きだが関東に来て魚屋さんの骨切りの荒っぽさに辟易して自分でするようになった。 
昭和35年頃の話だから今は変っているだろう。

家事失格人間だが料理は創作だし楽しかった。
今は自分だけのためだといい加減な料理で人に供する自信がまったくないが品数と栄養のバランスだけは考える。
先生と約束した減量はあまり捗らないけれど。

いま思い出したが何かの会合で実演してもらった鮟鱇の吊るし切りは豪快だったな。
終戦から数年後の勤め先の忘年会で手作りの河豚鍋は恐ろしくて暫く皆の様子みてから食べた想い出も蘇った。
根が食いしん坊だから今は病気の余波で食べられなくなった珍味のあれこれが懐かしいが、独りで食してもツマラナイ気もする。

人生を考えるセミナーに2013/12/10

雪のような山茶花
「人生振り返り講座」の4回目に出席して来た。
これまでの講演や講座の中でもちょっと異色で興味惹かれることが多く勉強させて貰う。

今回は60代女性のカウンセリングの事例で、悩み事と深刻な症状から抜け出す事が出来た経緯を伺った。
無論仮名でご本人の承諾も得てるとのこと。

一般的には「強迫性障碍」と「心気症」があるが一緒のことも有るらしい。
後者は私にも覚えが有るから彼女がどういうふうにカウンセリングの効果で治ったか他人事でない気がした。

講師の先生方より年配の、聴講生の方々の意見も活発で面白かった。
戴いたプリントの中に参考文献として
 C.G.ユング 「心理療法論」 みすず書房
    「臨床ユング心理学入門」 PHP新書
が紹介されているから今度書店で覗いてみよう。

プリントに有ったユングの言葉
「人生の自然な終点は 老ではなく叡智である」
そうありたいものだ。

私個人のささやかな経験では子どもの時や若い頃の劣等感、悩みなどなどが肥料になって今の自分を支えてくれてる思いが強い。