スケッチ会に2013/04/01

井の頭公園のサクラ
友人の紹介でスケッチ会に参加させて戴いた。
最寄りの駅でお仲間と落ち合い「井の頭公園」までお供する。
名前は知っているが結構遠い。 
彼女は毎月アチコチの場所のスケッチに参加していてあらためて凄いなと尊敬してしまった。

駅前で集合して先生お二方にも紹介して戴いた。
駅のすぐ横が「井の頭公園」で入り口から少し階段を降りるともう満開の桜が奥に広がっている。
大きな池には色々なボートが浮かんでいる。
中には大きな白鳥の形をしたのも。
池面に桜色が広がっていて絵心を揺すぶられた。
橋の上から3時間ほど夢中になってスケッチしたのが添付の絵。
いい勉強になったな。

このところずっと悩んでいたが、お陰で少し方向が見えてきた。
ともかく描かなきゃと言う気持ちにさせて貰ったスケッチ会。
誘ってくれた友人と親切に指導してくださったお若い先生方に感謝した。

昭和初期の食2013/04/02

足元には
朝から雨だ。
昨日のスケッチ会の一日だけが快晴でほんとうに恵まれていた。
友達にお礼の電話をして「凄く楽しくて勉強にもなったわ」と言いながらもお互い「疲れたわね」って。 若い時とは違う。
昼食後TVの録画を観ながらうたた寝してしまった。

今日は戦前の家庭料理を思い出すままに。
朝食は
 ご飯
 味噌汁(赤味噌、豆腐や油揚、海草類、季節の野菜など)
 焼き魚か生卵 
 海苔の佃煮
 漬け物 (ぬかみそ漬け(胡瓜、大根など)や沢庵、白菜漬け
      奈良漬け 味噌漬け)
現在の朝食とあまり変ってない気がする。
関西だから納豆はなかった。 存在すら知らなかったな。
私はその頃は味噌汁が嫌いで生卵をご飯に混ぜたのと海苔の佃煮ばかり食べていた。
海苔は父が春と秋に学会で東京に出張すると山本海苔の缶詰を大量に買って送って来るのが習慣だった。
細長いサクラ模様の缶が懐かしい。
沢庵の味噌漬けは父の田舎から自家製が送られてきたが子どもは好きじゃなかった。
灘の酒造地だから甘い甲南漬け(なかでも小さな西瓜と瓜)が大好きだった。
父だけが胃弱だとかで朝だけはパン食だったのが羨ましくて、戦後大人になってからは朝食はパンを通している。

昼食はお弁当。
長方形のアルミの弁当箱で蓋には斜めの溝が有ってアルミ製の箸が入るようになっている。 サクラなどの打ち出し模様がついていた。
ご飯の間に焼き海苔を挟んで更に一番上にも海苔で被って真ん中に梅干しが定番。
副菜入れは小型のアルマイトの容器でお汁が溢れないように蓋の裏側にゴムのパッキングがついていてさらに蓋をしてからパッチンする器具が付いていた。
塩鮭など焼き魚と時には卵焼きのほかは夕べの残り物が多かったと思う。
缶詰のコンビーフなどが入っていると嬉しかった。
運動会と遠足の時だけは母が早起きして具がいっぱいの海苔巻きを作ってくれるのが楽しみだった。

時たまだったけれど
「今日はパンを買いなさい」
と十銭玉を渡される事があると凄く嬉しくて学校の脇のお店に走って行った。
文房具屋さんなのだけどパンも売っている。
ジャムパンとクリームパンが5銭、カレーパンが十銭だった。
大抵カレーパンを買っていたと思う。

給食は勿論無かったからお当番の子が小使い室から大きな薬缶を提げてきて皆のお弁当箱の蓋にお茶を注いで回る。
今ふと、パンの時はお茶はどこに淹れてもらってたかしらなんて。

今の若い人からみたら粗末な食生活だと思うだろうな。
次の機会に夕食のことなど思い出して書きたい。
戦前は土地によって食文化は随分違っていたとも思う。

昭和初期の食 22013/04/03

昔の料理本
昭和初期の食の想い出の続き。
父は決まって5時過ぎには帰宅してたから夕食は6時頃だったと思う。
茶の間で父母は長火鉢を挟んで、それにくっつけた卓袱台を姉と兄と私が取り囲んだ。
お手伝いのお姉さんはちょと離れて箱膳で、そばにお櫃を置いてご飯のお替わりをよそってくれたり面倒をみてくれてた。
我が家は父の方針で平等主義だと子ども心に思っていたがやっぱり戦前ってそれが当たり前の社会だったのだろう。

一番のご馳走は「スキヤキ」!
秋には松茸がどっさり入って最高だった。

冬は関東煮(カントダキ)、おでんのことを関西ではこう言った。
お釜いっぱいに煮て好きなのをお替わりしてもらった。
今のと殆ど一緒だったけれどチクワブは覚えが無い。
海辺だから鰯料理は、天ぷらや開いてマッシュポテトをくるんでフライにしたのとか。
子どもはオムレツ、チキンライス、ライスカレーなどが大好きで和風の焼き魚や煮魚だと姉など不満たらたらだったな。

父は山奥の農村で育って新鮮な魚に恵まれなかった分、どちらかと言えば食い道楽だった。
収入の割には質実剛健の家風には程遠かったように思う。

でも今のような洒落た食材は無かったし、今私の好きなイタリアンも食卓には上らなかった。
そのかわり今高級品のイクラや明太子や松茸などは安かった。
今頃は大きな筍が市場にゴロゴロしていて下茹での必要も無いくらい新鮮だった。
まだ戦争の影響が少なかった昭和13、4年頃までの話である。

書棚を捜したら昔の料理の本が出てきた。
「西洋料理」ボーカス著 明治37年発行
            大正14年訂正五版
「支那料理」福田謙二  昭和7年発行
「懐石料理」辻嘉一   昭和25年発行

今日ももたもたと2013/04/04

春の妖精
思い立ってブログの整理をしている。
うっかりして同じ絵を添付したりするから年度別に記録しているのを新しいファイルに選んで移そうとしたら上手くコピーしてくれない。
どのキーを押しながらだったっけ、暫く使わない事はすっかり忘れてる。
情けないけれどMacのサポート窓口に電話して教わった途端に思い出した。
ついでにショートカットキーの一覧表の在処を聞いてブックマークに登録した。
3年のサポート期間が今月で切れるから些細な事でも教わって置きたいと少し焦っている。

そんなことをしていてら新しいメール到着の赤丸が。
開いたが見当たらない。
再起動しても同じなのでまた電話で聞いて一年くらい前のメールの間に挟まっているのを見つけた。
新着は一番上に表示されるのだが、送り側の事情(説明されたが)で以前のメールにくっついて表示される事も有るって初めて知った。 丹念に見なかったこちらが悪い。 

今朝も新しいパソコン教室のチラシ広告が入っていたがMacを教えるところはない。
まあ特に教わらなくても使えてしまうのだけど時々つまづいたり回り道したりしてる。

パソコンと携帯はもっと勉強しないといけないな。
先日のスケッチ会で水彩画の勉強をしたいと痛感した所なのに・・・
人生楽しむためには忙しい。

チューリップ満開!2013/04/05

横浜公園のチューリップ
アトリエの帰りに横浜公園のチューリップを観に行った。
横浜球場の隣だ。
昼食で散々お喋りした後だから
「今日は早く帰りたいから来週にするわ」
なんて躊躇っていたのだけどヤッパリ観たくて回り道した。

公園に入った途端に色とりどりのチューリップが眼に飛び込む。
満開だ。
数年振りだけどちっとも変っていなくて嬉しくて疲れもふっとんだ。
夢中になって写真を撮りまくった。
「明日から嵐みたいだから今日来て本当に良かったわ。
 誘ってくれて有り難う!」
とお仲間に感謝する。

画材屋さんとYカメラに寄って買い物していたら薄暗い時間になってしまった。