昭和初期の食 22013/04/03

昔の料理本
昭和初期の食の想い出の続き。
父は決まって5時過ぎには帰宅してたから夕食は6時頃だったと思う。
茶の間で父母は長火鉢を挟んで、それにくっつけた卓袱台を姉と兄と私が取り囲んだ。
お手伝いのお姉さんはちょと離れて箱膳で、そばにお櫃を置いてご飯のお替わりをよそってくれたり面倒をみてくれてた。
我が家は父の方針で平等主義だと子ども心に思っていたがやっぱり戦前ってそれが当たり前の社会だったのだろう。

一番のご馳走は「スキヤキ」!
秋には松茸がどっさり入って最高だった。

冬は関東煮(カントダキ)、おでんのことを関西ではこう言った。
お釜いっぱいに煮て好きなのをお替わりしてもらった。
今のと殆ど一緒だったけれどチクワブは覚えが無い。
海辺だから鰯料理は、天ぷらや開いてマッシュポテトをくるんでフライにしたのとか。
子どもはオムレツ、チキンライス、ライスカレーなどが大好きで和風の焼き魚や煮魚だと姉など不満たらたらだったな。

父は山奥の農村で育って新鮮な魚に恵まれなかった分、どちらかと言えば食い道楽だった。
収入の割には質実剛健の家風には程遠かったように思う。

でも今のような洒落た食材は無かったし、今私の好きなイタリアンも食卓には上らなかった。
そのかわり今高級品のイクラや明太子や松茸などは安かった。
今頃は大きな筍が市場にゴロゴロしていて下茹での必要も無いくらい新鮮だった。
まだ戦争の影響が少なかった昭和13、4年頃までの話である。

書棚を捜したら昔の料理の本が出てきた。
「西洋料理」ボーカス著 明治37年発行
            大正14年訂正五版
「支那料理」福田謙二  昭和7年発行
「懐石料理」辻嘉一   昭和25年発行

コメント

_ Cakeater ― 2013/04/03 21:21

mimiさんの時代はすでに卓袱台の時代なんですね。とすると、食器は食後に洗う習慣も一般化してたわけですね。
小松エメルさんという方の開化時代ものの物の怪物語に出てくる小鬼が、人間のところに押しかけ居候して、食べた後の食器洗いが仕事というのが、明治ものらしいなと(江戸時代では個別の膳で、個別の食器だから、お湯さして飲んでしまって布巾で拭く・・・・今じゃ禅堂でもないとそんなことしません)思ってたのですが、mimiさんの家の後片付けはやはりお手伝いさん任せだったんでしょうね。

_ 美海 ― 2013/04/04 09:32

あっ 卓袱台以前は箱膳で、あの中に収納していた自分用の食器は洗わなかったのですね。
昔は忙しかったから生活の知恵でしょうか。
あの頃の主婦の仕事は大変でお手伝いさんを頼むのは贅沢ではなかったみたいです。

男子厨房に入るべからずの時代ですから(^^

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