昭和初期の食2013/04/02

足元には
朝から雨だ。
昨日のスケッチ会の一日だけが快晴でほんとうに恵まれていた。
友達にお礼の電話をして「凄く楽しくて勉強にもなったわ」と言いながらもお互い「疲れたわね」って。 若い時とは違う。
昼食後TVの録画を観ながらうたた寝してしまった。

今日は戦前の家庭料理を思い出すままに。
朝食は
 ご飯
 味噌汁(赤味噌、豆腐や油揚、海草類、季節の野菜など)
 焼き魚か生卵 
 海苔の佃煮
 漬け物 (ぬかみそ漬け(胡瓜、大根など)や沢庵、白菜漬け
      奈良漬け 味噌漬け)
現在の朝食とあまり変ってない気がする。
関西だから納豆はなかった。 存在すら知らなかったな。
私はその頃は味噌汁が嫌いで生卵をご飯に混ぜたのと海苔の佃煮ばかり食べていた。
海苔は父が春と秋に学会で東京に出張すると山本海苔の缶詰を大量に買って送って来るのが習慣だった。
細長いサクラ模様の缶が懐かしい。
沢庵の味噌漬けは父の田舎から自家製が送られてきたが子どもは好きじゃなかった。
灘の酒造地だから甘い甲南漬け(なかでも小さな西瓜と瓜)が大好きだった。
父だけが胃弱だとかで朝だけはパン食だったのが羨ましくて、戦後大人になってからは朝食はパンを通している。

昼食はお弁当。
長方形のアルミの弁当箱で蓋には斜めの溝が有ってアルミ製の箸が入るようになっている。 サクラなどの打ち出し模様がついていた。
ご飯の間に焼き海苔を挟んで更に一番上にも海苔で被って真ん中に梅干しが定番。
副菜入れは小型のアルマイトの容器でお汁が溢れないように蓋の裏側にゴムのパッキングがついていてさらに蓋をしてからパッチンする器具が付いていた。
塩鮭など焼き魚と時には卵焼きのほかは夕べの残り物が多かったと思う。
缶詰のコンビーフなどが入っていると嬉しかった。
運動会と遠足の時だけは母が早起きして具がいっぱいの海苔巻きを作ってくれるのが楽しみだった。

時たまだったけれど
「今日はパンを買いなさい」
と十銭玉を渡される事があると凄く嬉しくて学校の脇のお店に走って行った。
文房具屋さんなのだけどパンも売っている。
ジャムパンとクリームパンが5銭、カレーパンが十銭だった。
大抵カレーパンを買っていたと思う。

給食は勿論無かったからお当番の子が小使い室から大きな薬缶を提げてきて皆のお弁当箱の蓋にお茶を注いで回る。
今ふと、パンの時はお茶はどこに淹れてもらってたかしらなんて。

今の若い人からみたら粗末な食生活だと思うだろうな。
次の機会に夕食のことなど思い出して書きたい。
戦前は土地によって食文化は随分違っていたとも思う。