只今入院中2010/11/13

10月28日、宵の口に突然右脇腹に激痛が走った。
何とかパジャマに着換えてベッドにもぐり込んだが痛みは
増す一方、不安で近くの息子夫婦に電話した。
そちらに泊まるつもりでガウンだけを羽織って車に乗せて
貰ったが痛みは益々酷くなる。
そのまま、以前お世話になった病院に問い合わせて即入院
ということに。

その夜は痛み止めの薬のせいかぐっすり寝た。
が朝目覚めると矢張り痛い。
検査をいっぱい受けたがボーっとしていて
「これで最後です」
と言われたCTしか覚えていない。

検査の結果 「急性胆嚢炎」
多分 胆石が出来ているでしょう とのこと。
他に悪いところは全然無かったそうだ。
原因が解ってホッとしたが痛みは半分くらい残っている。

普通なら胆嚢に針を刺して処置できるのだが、
生憎用心のため常用していたバッファリン(出血が止まら
なくなる恐れ)の影響が抜けるまで長引いたらしい。

入院12日目に胆嚢にチューブを通して体外に液を出す。
丁度2週間絶食、点滴1日6本で暮らした。
初めて重湯、スープ、ヨーグルトを食した時は
感激したなあ。
昨日から3分粥に昇格、5階の食堂まで行く。
水餃子が出てきて吃驚!  美味しい!
やっと前途が開けた思いです。


病院内は携帯、インターネット禁止ですので お見舞いに
来てくれた息子にアップを頼んだが、少し先になると思います。
突然行方不明になってご心配してくださった方(?)が
いらっしゃいましたら ほんとうにごめんなさい。

入院生活2010/11/17

胆石で入院してもう三週間が過ぎた。
三食昼寝付き、先生始め看護師さんも職員の方々も
とっても明かるくて優しくて居心地いいのだけど、
ネットに繋がらないのがナヤミだ。

今朝、先生から
あと 一週間ぐらいで退院出来そう。
言われて元気がでた。
もう少しの辛抱だ。

退院したら夜更かしはやめよう、散歩しよう、
健康的な食生活をなどなどと殊勝なこを
病室の白い天井を眺めながら心に誓っている。

退院報告2010/11/21

病室の窓から
昨夕無事退院出来ました。

23日目の我が家がいやに新鮮に見えると同時にホッとした。
長男夫婦が退院の手続き万端してくれて、車で我が家へ。
お世話になった方々に十分なご挨拶も出来ないまま、感傷に
浸る間もないお別れだった。

ま 前日に院長先生から詳しい説明も伺ってたし、栄養士さん
から今後の食事指導もバッチリ受け、夜にはお腹のチューブも
抜いて戴き、翌朝には刺し口も奇麗に塞がっていたので何の
心配も無いそうだ。

暫くして次男夫婦が4〜5日分の幾種類もの料理をタッパーに
詰めて持ってきてくれた。
栄養指導通りの内容、情報が行き交ったようで何より有り難か
った。
家族の温もりに沁みじみしちゃう。

夜 パソコンを開けて山の様なコメントを目にして涙が出てきた。
案じて下さった皆様、ほんとうに有難うございます。
元気づけられましたぁ。 嬉しかったです。

皆様個々にレスする体力がまだ有りませんので、今回はまとめてのお礼でごめんなさい。
今日は ともかく退院の報告と感謝の気持ちだけを!
明日からボチボチと今回の経験や想い出話を続けたいと思っています。

病友2010/11/22

クラシック
入院して3日間は高熱と痛み止めで朦朧としていた。
眼を閉じると幻影が広がる。
それが抽象絵画のような光景や、そのまま模写したい迫力のある草木の水墨画。しかしどこか恐ろしい。
一人部屋が心細くなって4日目に2人部屋の空きが出来たと聞いて移ることにした。
窓際で明るいのと同室の方が82歳と伺って心惹かれた。

私も熱は下がってきていたし、同じ昭和2年生まれ同士の会話は凄く楽しかった。
病名は違うが、ともに絶食の点滴生活だ。
様子を窺ってはカーテン越しの会話の話題は尽きない。

子供の頃や戦争中の学徒動員の工場でのこと、この歳になって感じることなどなど、すーっと通じるんだなあ。

辛い検査のときは
「行ってらっしゃい」 「お帰りなさい」
の言葉に思いが籠り、結果に一喜一憂する。
病友は戦友のようなものだ。  慰められた。

お嬢さんはソプラノ歌手で来月の大事なリサイタルを控えてられるのに再々見えてお話しできた。素敵な方だ。
聴きに行きたいけどまだ無理だろうな。

私の退院が決まった時は嬉しかったが、彼女にそれを告げるのは心苦しかった。
とても喜んで下さって、お互い元気になったら是非いらしてね と住所と電話、携帯番号を交換した。
「1週間後には外来に来るからお会いしましょう」
と約束して別れた。

今 病院でどう過ごしておられるかしらと気になる。

退院してみれば2010/11/23

街の紅葉
退院して3日が経つ。
病院では終日ベッドの上で過ごしていたのに、帰宅した途端に普通の生活に戻るわけで馴れるまで不安だったが家族が作ってきてくれた料理の数々に助けられた。
朝には様子を聞いてくれるついでに買い物も頼めた。

退院の翌々日、初めて入浴。
病院では毎朝熱い蒸しタオル4本で全身拭いていたのに、お湯に浸ると一皮剥けた感じには吃驚する。
今日は料理、洗濯が普通に出来るようになった。
明日は外出できそうだ。
過保護しない家族の配慮に感謝する。

23日間、突然無人にした家に帰ってみれば、いろんなことがあるものだ。
この地域を襲った停電のせいの時計その他の設定仕直し。
カメラが写らないと焦ったら、取り出して充電中のままだったとか。
DVDが録画も再生も出来なくて、配線を弄ってもダメ、ふとリモコンを見たらつまみがTVのほうになってたとか。
エアコンの調子がおかしくて、リモコンの電池を確かめ、奇麗に拭いたら直ったとか。

なんだか黙って留守にしたのを怒って皆で反抗している感じだ。
愛用の電子辞書まで電池切れの予告、「お前もか!」と充電のコードを探し出した。(初めての経験)
まあ 最後には何とかなるものですね。

医療保険について問い合わせたり、入院保険の手続きを聞いたり、知人に消息を伝えたり、一人だけの生活の空白期間の後始末に追われている。

これも ルーズな生活してきた報いだなあ と反省してます。