ヒロシマ あの日2009/08/06

昭和20年から8月は鎮魂の想いの悲しい月、普段は心の奥底に沈んでいる戦争のこと、亡くなった多くの方たちの姿が蘇って辛い気持になる月だ。

「新型爆弾で広島がやられたそうだ」
「たった一個の爆弾で広島は壊滅したそうだ」 などの噂が巷に流れ、家族や知人の安否を心配した人たちは無理をして広島に行き廃墟の中を探し求め、探し当てることもできず戦後何年かして原因不明の病で亡くなったかたもあった。

9日には長崎が被ばくした。
近所の男性たち(高齢者ばかり)は次は「ここらしい」などと声をひそめて囁き合っていた。 「日本は本当に勝てるのだろうか」とつぶやく人もいて誰もが不安な表情だった。

本当の惨状を知ったのは終戦後のことである。

無謀だったと言われる戦争への傾斜には貧困、国際的な圧迫、世界情勢など種々な原因が有り、その度にいくつかの選択肢があり、徐々に悲劇の向かってひた走り自滅した。 為政者にも国民にも世界の各国にもそれなりの理由は有ったのだろう。
だが結果は戦争の愚かさを多くの犠牲をはらってやっと気がついた。

平和公園での式典を見ながら亡くなられた方々、被ばくで苦しむ多くの方々に黙祷した。

どんな理由があっても人を殺してはならない。 戦争は愚だ。
核のない世界にしなくてはいけない。
世界中の一人一人のささやかな幸せを守るために人類はもっと賢くなろう。

コメント

_ ゆみちゃん ― 2014/06/10 07:38

その通りだと思います

_ 美海 ― 2014/06/10 16:40

ぜったい忘れては行けないです!

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