8月19日は義父の命日2009/08/19

昭和20年の敗戦の日から4日後の19日に夫の父は亡くなったそうだ。 白木のお位牌の裏には享年59歳と記されている。
当然私はお目にかかったことはないが義母からはよく話を聞いた。

朝から神棚の扉を開けて義父のお位牌を前に出し、水と洗米とお塩、それと清酒を供えて手を合わす。 榊を買ってこなくちゃ。
神道は五十年祭を済ませれば何の儀式もない。 我が家がだけがそうなのかもしれないが神主の娘だった義母のやりかたを踏襲して有りがたいと思っている。

神棚の横の義父の顔をしみじみと眺め、夫や母から聞いたことを思い起こした。 息子たち以降は何も知らずすべては消えていくのだろう。
義父は立派な体格で真面目で勉学に励み国立大学(昔は帝国大学)で最先端の技術をマスターした。 義母は美しい人で強い女性だったと思う。近所の書生さんと恋仲になったが家が許すはずがなく、そのさなかに母の父が亡くなる間際に義父と結婚するようにとの遺言で仕方なく結婚したという話を私は義母からよく聞かされた。 徹底的に仲の悪い夫婦だったそうだが生活と子どものために離婚はできなかったと。

浮いた話など一つもなく謹厳実直で家族のために働かれたお父さまはいい方だったと思う。 ただ夫婦の相性が悪かった、押しつけられた結婚は当人たちも、その子どもたちも辛かっただろう。

義父のお父様は粋な方で堅苦しい婦道の鏡のような奥さんを嫌って飛び出し別の女性と派手な生活をしてたが晩年事業に失敗して、絶対世話にはならないと言っていた息子の家に転がり込んだ。無論女性とは別れて奥さんと二人で。奥さんは喜んで昔風に仕えて夫が亡くなると二ヶ月後にぽっくりあとを追うように亡くなられた。

義父は勉学は出来たが世渡りは下手な方だったそうで、その上両親の面倒を見て、見送り、戦争も終わり、これからという時に脳梗塞か何かでぽっくり亡くなられた。 両親を見送って二年も経っていない。

これらはすべて母から聞いたことだ。 ほんとうにいろんな話をいっぱい聞かせてくださった。 そして「両親の仲が悪いと子どもたちが可哀そうだから仲好くしてね」と。 ほんとうにラッキーな嫁でした。

私たちが結婚して半年後、義母は初恋の男性と再婚して晩年幸せそうだった。 私たちも子ども連れでよく遊びに行き優しい小父様だった。

一番の貧乏くじを引いたのは義父だったのかな。 写真を見ながら直接お話しを伺いたかったと思う。  案外幸せを見つけていらしたのかも、そうで有ってほしい。