昭和20年 敗戦後の日々2009/08/25

敗戦の1年くらい前から父の転勤もあって疎開をかねて田舎住まいをしていた。 それまで住んでいた家はその後の空襲で近所諸共焼け野原になったから運が良かった。 一面田畑が広がる田舎は大都会の悲惨さとは雲泥の差で比較的のんびりしていた。
近所の方たちは出征した夫や息子が無事に何時帰ってくるかを待ちわび情報を交換していた。
隣組を通じて食料がどっと配給された。 鮭缶が主だったが進駐軍が来る前に始末してしまおうということだったのだろう。
父が勤めていたところに関係のあった軍需工場から洋服地やいろいろな当時では貴重な品を父も貰って来て家族は喜んだが、すぐに窮乏生活に戻る。 でも戦災地に暮らす方たちよりは恵まれていたと思う。

やがて来る進駐軍にそなえて女子の疎開話も囁かれたが緊迫感は無く無論具体化もしなかった。 農家でない我が家は毎日食べることに奔走していた。
次々と若い男性が復員してきて村は活気づいてきた。 学徒出征で幸いまだ内地にいた兄は一月くらいしてよれよれの軍服姿に大きなリュックを背負って帰って来た。リュックの中身は貴重だった砂糖で家族は無事と砂糖を凄く喜んだ。
両親が健在で住む家もあった私は幸運だった。 お洒落をする服はなくても、貧しい食卓であっても。
しかし毎日目にする薄っぺらい新聞には衝撃的な記事ばかり。敗けたのだから仕方ないと思いつつ読み麻痺していった。
進駐軍がきたらどうなるのだろうと不安を感じつつ。

当時の日記を取り出して久しぶりにめくったが8月15日付けの個所の3枚ばかりはむしりとられていた。 自分で破った覚えはあるが何を書いたのかは記憶がない。 その前後の日記は絶望の暗い文字が書きなぐられている。
今思い出すのは結構楽しかったことや未来への希望だが当時の私は若者特有の暗い思いを秘めていたようだ。