補聴器を考える2009/08/16

耳は物心ついた時からずーっと悪い。
1歳のころ重症の麻疹をやり一命を取り留めたが以来中耳炎に悩まされ耳鼻科の医院は馴染み深い。 喋り出すのが遅かったのは難聴のせいだったかもと今になって思う。
悩まされたと書いたが子どもの頃って身体機能が悪くてもあまり気にしないでこんなものだと受け入れる 。病院通いも治療も厭ではなかった。 膿をだすために鼓膜に針を刺すのは痛かったけど。

余談だが小学校に上がる前にアデノイドと扁桃腺摘出の手術を3回している。 扁桃腺の手術のときのことはよく覚えている。 お医者さんと向かい合って椅子に座って、これからどういうことをするのか説明を真剣に聞いて子どもなりに納得した。看護婦さんが目隠ししようとしたので首を振って拒否したら先生がいいでしょうと言ってくださった。 どういうことをされるのか睨むように見つめていた記憶がある。 摘出はあっという間に済んだがあと三日ばかりは唾も飲み込めず不便だった。
母は泣かなかったことを知人に自慢してたようだが、私には「あんたは首から上の病気ばかりよね。首から下は丈夫なのにねえ」と慨嘆した。

さて耳だが中耳炎を繰り返して小学校の教室での私の席は大抵一番前にしてもらっていた。 あまり不便と感じなかったのが不思議。

成長するに従って中耳炎から遠ざかり日常生活で不便を感じなくなり周囲の人も気がつかない程度になった。
がここ数年テレビの音量をあげてることが気になり出した。 アナウンサーや女性の声はよくわかるがドラマの男性の話の内容が判らないことがあって困る。
そろそろ補聴器があると便利だろうなと思うようになった。買ったけど鬱陶しくてという話もよく聞くので逡巡している。
それと肌色した補聴器があまり美しくないと思う。
眼鏡だとお洒落なデザインが有って楽しいのに耳が悪いのはそんなに恥ずかしいことなのか。 目立たないように隠すのか。
アクセサリーになるような楽しいデザインの補聴器が出て気にいるのがあったら買いたいと思う。 トランシーバー型もいいな。 音も良くしやすいのではないかしら。
夏休みが終わって空いたころ聴力検査してもらってから考えよう。