「金閣寺」を讀んで ― 2013/11/05
三島由紀夫の「金閣寺」をがブックオフで見付けて懐かしくて買ったのを夕べ讀み始めて
「ほんとうに これ讀んだのかしら」
と自信がなくなるほど奇麗に忘れていた。
青年僧の苦悩が自分の若い時と重なって傷ましく同感出来る処も有るが、この歳になれば 何で? そこまで?と息苦しさが先に立つ。
それでも夢中になって夕方から讀み始めて終った時は7時を過ぎていた。
山門を入った左側の鐘楼、鏡湖池、陸舟松・・・馴染みの情景が物語に現実感を添える。
金閣寺焼失は昭和25年7月1日だったことをこの本の後書きを見るまで忘れていた。
この日は私のお見合い記念日なのにその晩に焼失したなんて。
夫は京都にいたのだし比較的近かったから炎が見えたと思うのだが次に会った時にその話題はなかったと思う。
ただ当時のショックの大きさだけは覚えている。
しかしあの頃はその他にも大きな出来事が多過ぎて少し麻痺していたのかも知れない。
新しい金閣寺も渋みを帯びて来てもうすっかり周囲に馴染んでいる。
今年の5月に行ったばかりだが来年は紅葉の頃に行きたいな。
「ほんとうに これ讀んだのかしら」
と自信がなくなるほど奇麗に忘れていた。
青年僧の苦悩が自分の若い時と重なって傷ましく同感出来る処も有るが、この歳になれば 何で? そこまで?と息苦しさが先に立つ。
それでも夢中になって夕方から讀み始めて終った時は7時を過ぎていた。
山門を入った左側の鐘楼、鏡湖池、陸舟松・・・馴染みの情景が物語に現実感を添える。
金閣寺焼失は昭和25年7月1日だったことをこの本の後書きを見るまで忘れていた。
この日は私のお見合い記念日なのにその晩に焼失したなんて。
夫は京都にいたのだし比較的近かったから炎が見えたと思うのだが次に会った時にその話題はなかったと思う。
ただ当時のショックの大きさだけは覚えている。
しかしあの頃はその他にも大きな出来事が多過ぎて少し麻痺していたのかも知れない。
新しい金閣寺も渋みを帯びて来てもうすっかり周囲に馴染んでいる。
今年の5月に行ったばかりだが来年は紅葉の頃に行きたいな。
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