戦前の父親像2012/04/11

チューリップ(水彩)
昭和初期を舞台にしたテレビドラマを観ていると父親像に違和感を覚えることが多い。
家庭で絶対の権力と家長としての威厳を示す姿にそういう思い出を持ってる人も多いのかな。
私の育った町は会社勤めの方が多くて母親は家庭を守り育児に専念する役割分担がはっきりしていた。
選挙権は男性だけにしかなく女性は社会的に認められていなかった。
我が家とか周囲の家を思い返すと一応一家の代表として夫を立てていたけれど妻も家庭や育児に付いては主導権を握っているように見えた。

私は父に叱られた覚えが無い。
女学校2年のころに洗礼を受けたいと言ったときに
「大人になるまで待たほうがいいと思うよ」
と言われて不服だったが4〜5年して考えは変った。
医者になりたいと言ったときも、まだ女医の道は厳しいからと反対されて、どうしてもという意志も無かったからあっさり諦めた。
私の性格をよく判っていたなと思う。

姉が上野の美術学校に行きたいと言ったときも珍しく父が口を出して反対した。
それから何年かして縁談が決まり母は有頂天になっていたが父は「本人は本当にいいって言ってるのか」と母に聞いたそうだ。
肝心の所はよく見てる人だった。
兄が医師になることを嫌って文系に進んだときは黙っていたが少し淋しそうだった。
あの頃文系に行くことは学徒出陣を意味していたから複雑な思いだっただろう。

大正デモクラシーの影響か、父は子どもも対等に扱ってくれた。名前を呼びつけされたこともないし、背伸びした話に真剣に相手になってくれるのは父だけだった。
優しくて良い話し相手だった父の思い出だけが残っている。

家庭内のことは母が思うようにして父は仕事一筋で家事を手伝うのは大晦日に藁を焼いて火鉢の灰を新しくすることぐらいだった。
夫婦喧嘩を見たことが無い。
休日は父はゴルフ、母は教会へ。
お互い干渉しない取り決めをしていたのかも知れない。

友達の家々にもよく遊びに行ったがどこのお父さんも穏やかで家族が怖がってる様子は感じられなかった。
でも秩序というものが浸透していた時代だったのだろう。
自己主張でき平等であることと庇護されている安心感との両立は難しい。

権威を嫌い機会均等、平等を叫んできた結果の今の競争社会、私は戦前の身分制度が残っていた時代より良いと思っているが見回せば不安を抱えた孤独も伝わってくる。

桜を追いかけて2012/04/12

川沿いの桜並木
しつこく桜を追いかけている。
バスで隣街に買い物に出掛けたが半分は川沿いの桜並木を観たかったから。
細い掘り割りのよな水路だが両側に見事な桜並木が続いている。
もう満開の花びらが風に舞い、地面も少し白くなってて別世界に迷い込んだようだ。
思いきって来て良かったぁ
カメラで撮りまくったが帰ってからパソコンで眺めるとナマで観た雰囲気とは程遠くて伝えられないのが残念だ。

日本人て桜が本当に好きだと思う。
バスから見える景色も至る所に桜の淡いピンクが溢れている。
昔住んでいた京都には嵐山、金閣寺、八坂神社の奥、御所、御室などなど数え切れない桜の名所があった。
関東にきてからは鎌倉近辺の花見が毎年の楽しみだったし、丁度観に行く公募展が桜の時季で上野公園も見事だった。
青山の墓地の桜にも思い入れが有る。

今は遠くまで尋ねて行けないけれど桜の花の美しさに変りはない。
ときめきながらやがて少し儚なさも感じてしまう季節だ。

水彩画2012/04/13

八重椿(水彩)
庭に咲いたからと白い椿の花を戴いた。
八重は珍しい、それに椿は冬に咲くものと思っていた。
気に入りの青い花瓶に活けて正面の飾り棚の上に置くと室内が華やいだ。
面倒くさがりで切り花を買う習慣のない人間で些か情緒に欠けてると自覚しているが眺めたり描くのは好きだ。

昨夜は何となく11時近くまでテレビを観た後、急に絵が描きたくなった。
折角戴いた白椿が萎れたら勿体ないもの。
昔から夜行性の人間だから寝る前が一番元気だ。
鉛筆の線書きはしないで直接水彩絵の具をぶつけていったが、まだ慣れないのでぎこちない。
手直しが難しい水彩は一番難しいと思う。
でも淡い情緒は大好きだから試行錯誤しながら少しでも自分の好きな世界を見つけたいな。

家に閉じこもるようになって描きたいモチーフが無いのが不満だった。
描く気にならないのをそのせいにしていたのだが、先日親しい方から戴いた個展の案内状に教えられた。
優しい色彩の絵の題材は見近な茄子一個や大根、お皿に載った果物やケーキ一個、花一輪などなど 凛として美しい。
自分の甘えが恥ずかしかった。
少し遠くて観に伺えなかったのがとても残念だったが前向きになれた気がして感謝している。

昔話を2012/04/14

昔戴いた色紙
朝から小雨が降っている。
土曜日なのに満開の桜のもとのお花見の宴も無理だろう。
気持ちまで落ち込んで大阪の義姉に電話をした。
お正月過ぎに実家の親戚の訃報を知らせてもらって以来、不精していて気にしてたのだが変わりない声にほっとする。
「どうしてはるぅ?」
「しんどいわぁ」
同い年だから体調も似たようなものだ。

昔話になった。
本家の伯父が若くして亡くなりその子ども達は成人するまで私の父や伯母さんたちが引き取って学校に通わせ面倒を見たのだが、
「母親と引き離すなんて酷い話よね」
「教育が無いから任せられないって 今なら考えられへん」
父は8人兄姉の末っ子で兄二人が早くなくなり親族との関わりは深かったようだ。
本家の跡取りを立派に成人させて家を再開しなくてはと伯母さん達も懸命だったのだろう。
やがて我が家から学校に通っていた従兄弟が郷里に帰って結婚し立派に家を再興してからは私もよく遊びに行って可愛がってもらった楽しい思い出だけがある。
義姉は兄と結婚して私以上に本家や親戚付き合いをしなくてはならなかったから感じる所が多かったようだ。
あの頃は戦後になっていたけれど結婚することはその家の人間になることだったなと思う。
母や姉、兄も亡くなると実家の親戚の付き合いも無くなり、義姉からときたまの電話で消息を聞くだけになった。
血縁の絆も希薄になった。
夫の親戚のほうは親しいが昔のように訪ねる機会は少ない。
家族がいてくれることで救われる。

義姉と昔話をしながら父母の時代は大変だったなとつくづく思った。
義母も苦労したのだろうと親戚の画家から贈られた昔の山桜の額を眺める。

桜の季節も2012/04/15

近くで沁みじみと
珍しく家族と一緒にお花見に出掛けた。
皆忙しいから会えるのは日曜日位、孫娘も来ていて絵の話を聞いたりして嬉しかった。
車で延々と続く桜並木の下を走り、桜吹雪が何とも言えない風情だ。
今年は開花が遅かったから山桜も八重桜も一緒に咲いている。
下には菜の花やチューリップも華やかに広がって何だか北海道の春みたいだそうだ。

この十日ばかりは桜にどっぷり浸かったな。
そろそろ淡い緑の若葉が見えるから今日で私のお花見は終わりだろう。 
お陰で堪能出来て満足だ。
大木の幹の下のほうに咲いた花をしげしげと間近で眺めた。
来年も会いたいね と。