無為に過ごす日2012/05/01

紅白のハナミズキの花
クリニックで戴いた4日分の風邪薬を服用し終わって随分楽になったが治り切らない。
まったく年齢とともに長引くから厭になる。
連休の合間の今日、診察して貰いに行くと結構混んでいた。
風邪らしい症状の方が多いように見受けた。

帰り道の車道の脇のハナミズキの花が小雨に濡れて艶やかだ。
もう終わりに近い。
少し遠くまで行けば見事なハナミズキの並木道が有る。
夫が亡くなった年に車椅子で一緒に観に行って以来、花の時期には行ってないなとあの時の情景を思い出す。
「元気です」って心配してくださていた夫の親友に花の下で撮った写真を送った。
その方も3〜4年後に亡くなられた。

昼食を済ましたら疲れが出て寝てしまい、やっと頭がはっきりしてきたところで今日も一日が終わる。 何もしないで。
やりたいこと、やらねばならないことがイッパイ有るのに・・・。
明日を期待しよう。

五月に2012/05/02

ツツジ公園にて
前に住んでいた近くにツツジ公園が有ってこの連休は色とりどりの満開のツツジが楽しめた。
毎年必ず観に行ってボ〜ッと眺めてから小径に分け入って間近で花を見つめる。
何故かこの場所はいつも独りで気侭な時間を過ごした。
車で行く大きな名所は夫の運転で一緒に楽しんだ。
定年後の自由な時間は共に過ごしたり、お互い好きな別行動したりでともかく気楽ないい生活だった。
お金を使わなくても楽しいことはいっぱい有ったな。
健康に恵まれていたお陰だとも思う。

今住んでいる所は桜や色とりどりの花々に取り囲まれているが一面ツツジの壮観は電車で少し遠くまで行かないと見られないらしい。偶然パソコンの中の古いスケッチを見つけて昔を懐かしんだ。

5月になったのだなあ。
私のイメージは明るさと幸福感に溢れていて一番好きな月だ。
もうすぐ誕生日がやってくる。
この世に生を受けた不思議な日。

憲法記念日に2012/05/03

明日に向かって
朝刊を見て「憲法記念日」だと改めて確認する。
何時の頃からだろう国民の祝日に対する意識が希薄になって来たのは。
私だけなのかも知れないが。 淋しい。

今調べてみると「敗戦後の1946年(昭和21年)11月3日に公布され、1947年(昭和22年)5月3日に施行された」とあった。
私は学校を卒業したばかりの頃だけど記憶が少しずれている。
新しい憲法に興味を抱いて真剣に何度も読み返したのは2年くらい経ってからだった。

思いがけないキッカケで勝手に地方公務員の試験を受けて奇跡的に受かって配布された手帳の最初に新憲法が印刷されていた。
暫くして金森氏の講演を聴く機会が有った。
物静かな学究肌の感じの方で夢中になって聴き新憲法に対する思い入れは未だに強い。

実は60年前の記憶に自信が無くふと浮かんだ金森氏の名前もホントかなとネットで調べたくらいだ。
講演の内容も朧げだが、当時から占領国に押し付けられたモノという批判は絶えなかったが私は今でも概ね誇りに思える憲法だ。

長いこと全文を読み返していないから大きなことは言えない。
ゆっくり読み返して若い時の感激と今の感想を比べてみたい。

「みどりの日」に2012/05/04

ハナミズキと新緑
「みどりの日」というだけに連なる丘の樹々の緑が少し濃くなって瑞々しい。
街路樹のハナミズキも背景の新緑とお互いを引き立てている。
雨が降っても5月はやっぱり好きだな。

朝ドラの「梅ちゃん先生」見ていると女専に入学した頃を思い出す。
女学生になったときも小学校との違いに驚き戸惑いもしたが、それ以上に新しい経験だった。
私が特に世間知らずだったのだろう。
一足飛びに大人になった気がした。
父兄同伴でなければ行けなかった映画やレストランや喫茶店などにも自由だ。
私の通っていた女学校が厳しかったのかもしれない。
最初は少しお行儀悪いなと感じることも有ったが直ぐに馴染んだ。 土地の言葉を教えて貰ったがアクセントが難しかったな。

医専などと違って父からも
「3年間遊んで空気吸ってくれば良いから」
と何の期待もされていなかったから気楽だった。
でも授業は面白かった。
初めての寮生活にもわくわくした。
あの頃の想い出をそのうち書き足したい。
たった3年間だったけれど敗戦を挟んだ激動の日々だったから。

入学して初めての祝日、あの頃は天長節だけだったかな、一ヶ月ぶりに帰宅したら父が一人だけで迎えてくれた。
母は身ごもった姉の所に泊まりがけで手伝いに行って留守だった。
「折角帰って来たのに悪かったね」
と言ってくれる父のほうが私は淋しそうで気の毒だった。
賑やかだった家も姉が嫁ぎ、兄が地方の高校に進学し、私も寮に
行って家がガランと淋しく感じられた。
もともと父っ子だった私は一晩父と楽しく話したが、もう私も巣立ったのだと感じた。
経済的には保護されていたから精神的なものだけだが。

厳しい世相だったが新緑の爽やかさが子どもからチョット背伸びしだした頃の自分と重なって見える。

「こどもの日」2012/05/05

ちょっと元気ないね
両親は兄が産まれた時に凄く喜んで育児のことに口を出さない父が「男の子の教育は私(わし)がする」と言ったと後年になって母から聞いた。
昔は跡取り息子は特別な存在だったのだろう。
父もやはり明治の人だった。

子供部屋だって洋室の一番良い部屋だったし、早くから家庭教師に来て貰っていた。
それなのに我が家には鯉のぼりも兜や武者人形はなかった。
雛祭りには母が嫁入りの時に持って来た雛人形を必ず飾ったのに。
新しく開発された住宅街のせいか庭に鯉のぼりを立てている家はそう多くなかったが風に踊るさまは壮観だった。
我が家では特別なことをした覚えも無い。
父の考えを聞いてみたかったな。

私の誕生日は5月6日。 前にも書いた気がするが幼い時に母が
「五月五日に男の子が産まれると思ったのに」
と呟いたことが忘れられない。
私も男に産まれたかったなと長いこと思っていたが何時の頃からか女で良かったと思うようになる。
戦後暫くまでの男女差別の口惜しい思いが年齢を重ねるほどに男性の重荷も理解出来るようになった。
現在のことは知らない。 どちらも大変そうだ。

今は「こどもの日」だ。
子ども達の将来が明るく平和でありますようにと心から願う。