女学生だったころ2012/04/24

パステルで
女学校に入学して小学校とは全然違うのに戸惑った。
公私立の女学校が沢山有ったなかで受験したのは少人数の私立の女学校だった。
私が希望したのではないが姉が通った学校で両親も当然といった感じで、合格通知が届いても家族はだれも感激してくれなかったな。
兄が志望校に合格したときとはえらい違いだ。
末っ子の女の子はそういうものらしい。

女学校は木造2階建てで小学校の立派な校舎とは大違いだったが母の話では校長先生が女子にコンクリート建築は冷えて良くないと寄付を受け付けなかったそうだ。

女学生になると雰囲気が全然違う。
ともかくお行儀が良い。 はしたない言葉は使わない。 騒がない。
命令されることが少なく自主を重んじてくれてたと思うが他校のことは良く知らないし個人で感じたことも違うかも知れない。

女子の進学の少ない時代だったから受験に煩わされること無く先生方はご自分の理想で教育して下さった。
国語の先生は開口一番に
「教科書は終わりまでやりません。 そのかわり徹底的に掘り下げます」
数学の授業は自分で考え発見することに主眼を置き丸暗記することはなかったので私は幾何に夢中になった。
ユークリッド幾何学についても真摯に説明してくださって感激したな。
新しく出会った英語などなど、女学校二年生くらいまでは授業が楽しくていろいろ覚えているがそのうち通信簿の無いことを幸いに裁縫やお作法などの授業は怠けて又好きな本ばかりを読むようになった。

生涯の親友が出来たのも女学生の時だ。
毎日のように家に遊びに行きその友から得た影響は大きい。
傍らの皆への心配りと愛情のこもった何気ない行為の大きさをず〜っと後になってから沁みじみ感じ自分の甘い生き方を恥じた。
終わり頃には少し窮屈にも感じだして四年終了で飛び出した女学校だが今は一番懐かしい。