春が2012/04/01

春到来
4月、いよいよ春本番だ。
桜の様子を知りたくて散歩に出掛けた。
やっぱり枝垂れ桜のほうが早いだろうとそちらに足が向く。
例年なら3月下旬には満開だった。
大きな姿が見えて来てがっかりする。全然色付いてもいない。
近くに行って見上げると小さな莟がいっぱい付いているけれどまだ固い。
思い違いかな、病気で去年は観なかったらと自信を無くしかけたがカメラを持った方が三々五々集まってきて憮然と見上げてる姿が有った。

替わりに近くの紅梅が満開で色鮮やかで見蕩れてしまう。
帰り道で見た淡いピンクが買った白い花は桜の一種だろうか。
足元にはラッパズイセンの黄色が鮮やかだ。
小さな花畑にはムスカリや知らない可憐な花々が満開だ。
やっぱり 春ですね
週末に桜広場に行こう。 楽しみだ。

絵画教室へ2012/04/02

早春の池スケッチ(水彩・パステル)
絵画教室に行く。
好天に恵まれてラッキーだ。
今月から1時間延長して10時〜14時の授業になって落ち着いて描けそうで嬉しい。
昼食用に簡単なサンドイッチとお茶を持参する。

前回、人物を描きたいという方がいらして少人数では負担が重いって話からそれなら石膏像でもって私が言って決まってしまった。
その為に購入して下さった男性の頭部の石膏、名前は伺ったが忘れた。
鉛筆デッサンは何年振りだろう。
あたりの取り方を教えて戴いたが難しい。
絵を楽しむ為には基礎技術は大事だと仰るのは頷ける。
好い勉強になりそうだ。
悪戦苦闘して半分も描けないうちに時間がきてしまい心残りだったが次回に頑張ろう。

帰りに書店に寄って
「週刊ブックレビュー 20周年記念ブックガイド」NHK
を買う。 好きな番組だった。

今日の添付絵は先月スケッチに行って描いたもの。
あの時は楽しかったな。

海辺からの贈り物2012/04/03

手作りのママレード
昼前、昨日の疲れか何をする気にもなれずアームチェアに身を沈めてうとうとしていたらチャイムが鳴った。
モニターに写ったのは宅配の男性らしい。
心当たりはないけどドアを開けて待っていたら緑色の包みを抱えて小走りに現れた。
「誰からかしら」
独り言を呟きながら受け取ると懐かしい友人の名前が書かれていた。
「あ もしかして・・・」
ワクワクしながら開けてじーんとした。
彼女の手作りのママレードがお洒落に包装されて二瓶も、それにレモンまで添えて。
海の写真のカードの裏に懐かしい字が踊っていた。

20年以上前からの絵を通じての友達だ。
今頃の季節にお庭の夏みかんで作ったママレードをよく戴いた。
ここ数年は彼女も介護などで大変だったし私の入院騒ぎもあってゆっくり話す閑はなかった。
一緒に絵を描くことも無くなっていたのに、私のことを気に掛けてわざわざ送ってくれたんだと思うと泪が滲んで来た。
あのジャム作りは私も経験があるが結構大変なのだ。
それに瓶詰めしてラッピングして送る手間!
嬉しかったなぁ。

彼女の声が聞きたくてお礼の電話をした。
全然変っていない明るい彼女の声にほっとして話がはずむ。
元気そうで良かった。
ま 私よりうんと若いから。 でも苦労もあると思う。
最後に
「お互い頑張って また一緒に絵を描こうね」 と。

朝のドラマを見て2012/04/04

さくら開花
新しいNHKの連ドラ「梅ちゃん先生」が始まった。
主人公は私より2歳若い設定で終戦から始まったので馴染み深く懐かしい。
当時、私は関西に居たから少し違うが当時の雰囲気はよく出てると思う。
皇居前で自決した方もあったとは聞いたが一般の庶民はホッとしたのが本音だったのではないか。
相次ぐ爆撃で焼け野原になり戦況の絶望的なのは大本営が如何に発表しても隠せる物ではなかった。
軍需工場も壊滅して学徒動員されても働く場所は無かった。
本土決戦、一億玉砕しかないのだろうかと絶望的な気分で8月15日を迎える。
ドラマにも出て来たようにあの夜の家々の窓から洩れた灯りは忘れられない。
戦争の終わりを象徴していた。

ドラマの主人公が下肥を自家菜園に撒くシーンを見て思い出した。
学校でも野菜畑を作って上級生がトイレの下から長い柄杓でくみ出したのを肥桶に入れて運び野菜の根元に撒いた覚えが有る。
2〜3回だったと思うが、教員をしていた伯母に話したら実に厭な顔をして「学生がねぇ」と慨嘆した。
人間、いざとなったらどんな環境にも耐えて行くものだ。
若かったから物珍しさもあって悲壮感はなかった。

若い時はいろいろな新しいことが物珍しく空腹でも着るものが無くても新しい文化と価値観に夢中になれた。
ドラマの今週の表題「あたらしい朝がきた」は実感だ。
それにしても最近昭和の懐かしい題材が多いような気がする。

昨日の強風が収まったので桜が気になり近所を少し歩いたら早咲きの種類だろうか満開の樹を見つけた。

宝塚の想い出2012/04/05

夢見たころ
昨夜もう寝ようとしたらTVで越路吹雪の番組が始まり懐かしくてそのまま見てしまった。
彼女が宝塚で活躍した時期には阪神間から離れ観に行けなかったが、結婚してから彼女の舞台を二度ほど観る機会があった。
「モルガンお雪」は鮮明に覚えている、凄い迫力で感激した。
晩年の母と一緒だった。
もう一つの方は今ど忘れしている。確かめる相手が居ないって不便だし淋しい。

宝塚のことに想い出は移る。
小学校に上がる前から母と姉のお供をしてよく宝塚の大劇場に通った。
今の時季は劇場の入り口まで続く桜並木が美しかった。
天津乙女がまだ健在で日本舞踊を踊り、小夜福子や葦原邦子、轟夕起子などの時代だった。
女学校に入る頃まで観に行っていたと思う。
クラスメートには熱烈なファンが多かった。
女学校では年に一度の自主的な発表会に宝塚の演目を再現した学年も有ってもうそっくりなのに感心したが衣装も宝塚の衣装部から全部借りたと聞いて驚いた。
もう戦時色が強くなった頃で軍隊ものだったと思う。

何はともあれ宝塚は子どもにとって美しい夢の世界だった。
結婚して東京に来てからも友達に誘われて観に行ったが矢張り宝塚の大劇場、それも昔のは別世界だった。
子どもだったせいもあるだろう。
眩しく明るい大舞台とせり出した花道、その下のオーケストラボックス、フィナーレの大階段を降りてくる華やかな羽飾りのスター達・・・
戦前のいっときの輝きが夢のように浮かぶ。
最近そういう想い出を与えてくれた親に感謝する気持ちになった。