テレビを観て2011/12/05

NHKの「坂の上の雲 第3部」が始まった。
一昨年には3年連続なんてムリかもと書いたら案の定去年は入院中でまともにテレビ観られる状況ではなかった。
でも何とか生きている。
これまでの再放送も観たから久々にゆっくりと浸り込む。
原作は発行された時に買って夢中になって読んだがもう殆ど忘れているから新鮮だ。

その後で「NHKスペシャル ”真珠湾”から70年」を観た。
ドラマと実録との違いは有るがこの二つの戦争の落差を沁みじみ考えさせられた。
小さな國が世界の大国に認めてもらおうと必死になって戦った日露戦争は莫大な戦死者を出しながらも勝利に終った。
世界で生き残る為には仕方のない犠牲だったのかもしれないが本人も家族も辛かっただろう。
その頃は國への思いと死生観が違っていたのだろうか。

太平洋戦争のニューギニアにおける兵士の飢えの実態を体験された方々の生々しい証言をテレビで聞いて言いようの無い気持ちになる。
前に「それでも日本人は戦争を選んだ」を読んで戦争の起こる多々の原因があることを知ったがその結果辛い体験をした方々は今も癒し難い心の傷を抱えておられる。

私は無論、日中戦争以前のことは知らないし、祖父母から明治の世情を聞く機会も無かったから小説で想像するだけだ。
太平洋戦争は十代後半にその渦中に居たから今想うことはいろいろある。
どうして世界中国境を越えて仲良く出来ないのだろう。兵器が無くならないのだろう。 譲り合えないのだろう。
戦争の悲惨さを想うと甘いと知りながらつい理想論に走ってしまうのだ。

コメント

_ kazu ― 2011/12/06 21:38

日清、日露、負け知らずの戦争を続けてきた日本。
「負けてはならない」から「負けるはずがない」へと増長していった軍部。その勢いで、支那事変、日米開戦とつながっていく。

その状況を、東京新聞のコラムで、国の原発推進政策に重ねていた。原発事故が「あってはならない」から「あるはずがない」へと変わっていった。
そしてまた「あった」にもかかわらず、再び、稼働の方向へ、海外には売りこみである。
野田政権は、以前にもまして、アメリカのいいなりになっていることが、あからさまになってきている。
嘆いてもせんないことだが、自分のことは自分で守るしかない。

_ ゆき ― 2011/12/07 07:35

おはようございます。
私の親戚もニューギニアで戦死しました。餓死ではなく、空中勤務者としてですが、今でも残る資料に「未帰還」と書かれた文字を見ると、何とも言えない気持ちになります。

その方がもし生きていたら80代後半ですが、平和な時代に生まれた私には、やはり遠い記憶に思えてしまいます。
戦争の話を口に出したくない方もいらっしゃると思いますが、亡くなった祖父母にもっと戦争の話を聞くべきだったのではと後悔しています。

私の考えも甘いですが、皆が平和に暮らせればと願います。

_ 美海 ― 2011/12/07 10:13

kazuさん まったく同感です。
絶望的な戦況の中で庶民は「日本は負けたことが無い」「神風が吹く」に縋り付いていました。
今現在も個々が真剣に考えなくては。

_ 美海 ― 2011/12/07 10:25

ゆきさん おはようございます。
「未帰還」哀しい文字ですね。
これからの長い人生を奪ってしまう戦争の悲惨さを改めて考えさせられます。
理由はいっぱいあっても戦争だけは避けたいです。

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
干支で寅の次は何でしょう?
(平仮名3文字でお答えください)

コメント:

トラックバック