明治生まれの女性2009/07/30

今朝はベランダいっぱいに明るい夏の日差しが。
7月30日は母の亡くなった日だ。 半世紀経つ。 陽気で人付き合いの好きだった母にふさわしい天気なのがうれしい。

明治35年生まれの母を父方の伯母達は大正育ちの軟弱と思っていた節があるが私にはやはり明治の女性の強さを感じることが多かった。

明治維新は昭和20年の日本敗戦に伴う変動以上の大変な経験だったろう。 武士階級の崩壊、下剋上、民権の意識、などなど。
そのなかで明治の女は強かった。

夫の母は明治27年生まれだ。 武士の家系で維新後京都にうつりどういう経緯があったのか神職に就く。
母も義母も明治の半ば過ぎの生まれだが、江戸時代の名残と新しい活気と日本の将来に対する不安が交錯していたと思う。
日清戦争、日露戦争で国民の一体感は増したのではないだろうか。
義母も母も明治天皇が好きだった。 神格化なんて感じはなくて尊敬のなかに一種の親愛感が感じられた。

芯の強さを感じたのは死に対する覚悟だ。
母は43歳の時に直腸がんを患った。 かねてから父に癌になったら隠さないでほしい。皆にちゃんと感謝の言葉を伝えたいからと頼んでいた。 幸い完治して3年後父が先に逝く。 そして57歳で母は今度は胃がんで亡くなった。 医師である父に先立たれて心細かったろうが最後まで自立して強かった。 信仰に支えられていたのだろうが明治の女性の凛々しさも感じた。

今日、7月30日は明治天皇崩御の日である。
この日に死にたいと切望したのは義母だった。 72歳のときに皮膚がんが見つかり入院した母は「これは助からないと思う」と息子である私の夫に告げて「死ぬなら明治天皇と同じ日に死にたいから主治医の先生に薬を処方してもらうよう頼んでほしい」と。 一応母の希望は伝えたが出来るわけがない。それならこっそりとと夫は言われ、母の苦痛を見てる夫は悩み、後々まで義母の願いを聞けなかった自分を責めていた。 私は夫を犯罪者にしたくない一心で「奇跡が起こるかもしれない、最後まで諦めないでいよう」と説得した。
1ヶ月後の9月2日に義母は亡くなった。 前日娘が持ってきたメロンを一口食べて「美味しかったよ」と言い、帰ったあとで「これであの子も悔いが残らないだろう」と私につぶたいた。最後を看取ったのは夫と私でずっと泊り込んでいた私には本当にやさしい感謝の言葉をかけてくださった。
そのあと胸の上で両手を祈るように組み目を閉じて静かに息を引き取られた。 武士のような美しい最後だった。

二人の母のことを思い出す日。