ブログ開設2009/06/17

ブログを作りたいとずーっと考えていたがテーマが決まらなかった。
「昭和の風景」「今日の1枚の絵」など考えたがちょっと重荷で自信がなかった。

先日茂木健一郎氏の「やわらか脳」を読む機会があった。
ブログに書かれた日記を本されたもので、勿論比ぶべくもないが、
日々想うことを私なりに書きとめればいいかと気持が楽になった。

どうせ大したこと書けなくても読み返せば楽しいだろうと自分勝手な
日記です。

気がつけば822009/06/17

5月連休の最後の日が82回目の誕生日だった。 

私も含めて 知人の多くの本音は
 
 ”ああ 30代に突入!” 

 ”いやだあ  40歳なんて”

 ”人生50年!”

 ”還暦 感無量” 

 ”70歳まで生きると思わなかったなぁ”

などなどの感慨を抱きながら誕生日を迎えてきた。

さすが80を超すと高齢者の自覚と両親姉兄より長生きしていること、
平穏無事な境遇や家族の温かさに感謝する。

戦後間もなく56歳で亡くなった父が晩年に「日々是好日」という言葉を
好み軸にして床の間に飾っていた心境が理解できる気がしてきた。
そう思いながらも同世代の友人と
 「80代になると体力も気力も衰えるよね」
とこぼしあうが、ほんとその歳になってみないと解らないことだ。

でもまだまだ楽しみはある。
今日はシニア向けのパソコン教室でwordでイラスト入りのメニューの
作り方を教わった。
60歳を機に始めたパソコンだが初めてWindows用のノートパソコンを
買い、戸惑うことが多いので広報の募集を見て申し込んだ。
生徒8名に先生お二人、教え方上手、お人柄も良くて楽しい!

昭和2年生まれ2009/06/26

文芸春秋2006年10月号の「追悼吉村昭 昭和2年生まれの戦友へ」と題した城山三郎の文を読んで感銘を受けたことを思い出し再読した。
「昭和2年生まれのまなざし」という言葉に共感する。
昭和2年うまれの有名人には両氏以外に北杜夫、小川国夫、藤沢平、加山又造、額田やえ子、緒方貞子の方がたがおられる。

私の両親は明治生まれ、姉と兄は大正で昭和に生まれたのは家族の中で私だけだった。
自分だけが特別新しいって感じで、物心ついたころには「昭和の子供」という歌が流行り小学校の国語の教科書も色刷りのサイタサイタサクラガサイタと新しくなって時代の先端をいってるという得意さもあった。

しかし本当は不況、貧富の差、軍国主義の台頭、戦争のきざしなどなど重苦しい年だったようだ。
後年、この年に芥川龍之介が自殺したことを知りショックだった。

でも私の人生の殆んどが昭和とともに始まり、戦争、敗戦、民主国家、経済成長、破綻、電化製品、ITなどなどを肌身に感じた面白い時代に生きてこられて良かった。
いつの時代も変動は有り特別なことではないのだろうけれど、なんだか私は昭和二年うまれということに愛着が深くて同年生まれの方に巡り合うと嬉しくなってしまう。。

7月1日はお見合い記念日2009/06/30

昭和25年(1950年)にお見合いをした。
父は3年前に亡くなり、姉は結婚して北海道に行き、兄は大学を出て就職した会社で私と同い年の彼女に夢中になり前年に式をあげた。
ひとり残った私を心配して下さる方が多く10回くらいお見合をしている。
勤務先の上司も「彼はどう?」とか。
結婚願望が少なかったのか男性には友達以上の感情は持てず、お見合いするたび申し訳ないと思いつつ断ってもらった。
一回断られたこともあったっけ。

文学少女だったし、戦時下の抑圧の反動で奔放な世情だったが恋愛には興味なかった。
しかし仕事にのめりこむこともできず、現状から抜け出したい、やっぱり結婚したいと23歳に少し焦りを感じだした矢先に母の友人が話を持ってきて下さった。
その時、母はなぜか姉のことを心配して北海道に行き留守だったので兄に相談して二人でお相手のお宅に伺うことにした。

忘れもしない、京都で兄に会って相談したときに兄がポケットからお金を出して「これで洋服買ってこい」と渡してくれ嬉しかった。
すぐに四条河原町の大きなお店に飛び込んで選んだ末、ローズバイオレットの洒落たワンピースを買った。
お見合いで気に入って貰えたのはあのドレスの効果も半分くらいは有ったかも。

お相手のお宅に兄と二人だけで伺うお見合いは初めての経験で家庭的な雰囲気がいいなと思った。
ことにお母様が素敵な方で、これは後で知ったのだが7月1日はそのお母様の誕生日だった。
のちの夫と正座してちゃんと挨拶しあったのはあの1度だけだ。

母抜きで兄と決めてしまい次にデートした時にどんなプロポーズしてくれるかなとちょっとトキメイテいたのに「母が是非にって言ってる」なんて、 照れてたのは分かるけど、、、。
でも義母とは一生仲が良くて姑と思ったことがないくらい好きだった。
後日帰宅した母もほっとしたらしくすごく喜んでくれたが京都の固い家庭の義母と阪神間の社交と趣味を楽しんできた母とは違いすぎる。
それが判っていたから母の留守の間に事を運んだのである。
決して母を疎んじてたわけではない。

この夫と54年間連れ添って4年前に見送った。 幸せだった! 感謝している。