昭和初期のこどもー髪型2009/07/25

小学生の時の日食の思い出を書いたら、あの頃の自分や友達の姿が鮮明に現れた。
服装も、髪型も、気持だって今とは随分違う。ちょっと書き留めたくなった。  完全に追憶モードにハマっている!

地方によって随分違ってたはずだから昭和初期の風俗と一くくりにはいえないと思う。 あくまで私の個人的な記憶です。

女の子はオカッパが主流だった。小学生で前髪を上げたり横分けにした子は一人もいなかった。
 短めのオカッパーーー後ろの生え際は4~5センチ剃る。
 刈り上げ -----坊ちゃん刈りに似てるがずっと長い。
 日本人形風 ----踊りを習ってた子? 少数派。
私は後ろの生え際を剃った感じが嫌いで刈り上げにしていた。
関西ではサンパツヤさんと呼ぶ。月に1度くらい小銭を握りしめて行った。 椅子に腰かけると首に薄い脱脂綿の包帯状のを巻いて白いケープを掛けられた。 年配の小父さんが散髪してくれて奥さんがこまごまと手伝っていた。
散髪をした翌日学校へ行くと友達が「オハツ」といって頭を叩いたものだ。 むろん軽く!

男の子はほとんどが坊ちゃん刈りだった。 前髪をきちっと切りそろえていたのが今とは違う。
小学2年生の時に担任になっれた先生は元軍人さんで女の子には凄くやさしかったが、高等科(中学に進学しない子が2年間学ぶ)の軍事教練を指導しているときは人が変わったように厳しい顔や声だった。
その先生が最初の日に「男の子は丸坊主にしてきなさい」と命令された。 本人はもとより、母親が不満だったろうと思う。 しかし反対できる時代ではなかった。
翌日男の子は皆青々とした丸坊主で前髪で隠れていた額の白いのが暫く消えなかった。

女の子はお正月とかバレーの発表会などには鏝で髪の毛をカールした。 そのころ憧れていたシャーリーテンプルをちょっと真似て。
それようの鏝を炭火で 熱くして髪を挟んでくるくる巻く。 子供では危ないから母親がやってくれた。 お洒落には母のほうが熱心だったと思う。

昭和10年ころは私たちにとってはまだまだ平和な時代だった。