昭和の風景ー海水浴2009/07/20

梅雨が明ければ遊び場は海だ。

 余談だが、浜辺の砂は白いと思いこんで育ったのが大人になってから東京に移住して黒っぽい砂に驚いた。 美しくない。だんだん慣れて気にならなくなったが移って暫くは海に行く楽しみが半減したものだ。

幼いころは砂浜で山を作りトンネルを掘り開通した時の喜び! 
少し大きくなるとゴムの浮輪をつけて浅瀬で波間に揺れていた。
なにかの拍子に海水が口に入ると塩辛かった。
今から思うと結構不衛生だった。 ゴミが固まって浮いていたり、犬の死骸が浮いていて怖々向こうへ押しやったこともある。それでも誰も病気になった話は聞かなかった。
ただ父には話さなかった。医者で衛生観念の強い父に言えば心配しただろうし海水浴禁止になったら大変だ。

母の水着姿をうっすら覚えている。 明治生まれの母の水着は半袖で丈も膝近くまであったような記憶、色は勿論黒無地だった。
昭和初期の子供たちの水着はスカートが必ずついていたのが今と違う。ウエストから下はパンツとスカートの二重になっていた。今でもそういうのも有るのだろうか。

学校にまだプールはなかった。
7月の半ばから授業は午前中だけになって上級生は先生に引率されて海に行き水泳の訓練があった。 海水帽に付ける白いテープの数で等級が表わされていた。 最後の日には遠泳も行われた。 私は遠泳に参加した記憶がないから 男子だけだったのだろう。

海はプールより体が浮くから泳ぎやすかった。 波はちょっと邪魔になったが進級試験の時に途中で足を着くズルをしても不透明だから誤魔化せた。 もしかしてあれは先生の温情だったのかな。

オリンピックの「マエハタ ガンバレ マエハタ ガンバレ」の有名になったラジオの実況はなまで聞いたと思う。 確か昭和11年だった。

海水浴をしなくなって半世紀経つが海辺で育った私は今でも海が大好きだ! 眺めているだけで心が晴れ晴れする。