東日本大震災を思い出して ― 2021/03/11
新聞のトップの見出しに
「東日本大震災10年」の大きな文字が〜
TVの画像を観ながら、自分のブログを遡って見たら、2011年2月22日から5月26日まで途切れてる。
5月27日は
「お陰さまで無事退院出来ました」と〜
急性膵炎の激痛で2月20日に救急車で入院して、内視鏡にによる胆嚢摘出手術が4月22日。
5月28日のブログには、
「4時間ベッドに寝たきりのときに東日本大震災が起こった。
震度5強だったが避難する術も無くベッドの柵に身を寄せて布団を冠り頭に枕を乗せて踞っていたが不思議と恐怖感はなかった。
若い看護師さんが
「大丈夫ですか? 私ここにいますから」
チラッ見ると入り口でよろけながら踏ん張っておられる。
「私は大丈夫よ!」
と大声で応えたが彼女のプロ精神に感激したなぁ。
自宅に居たらマンションの最上階で一人できっと心細かったと思う。 後で家族に聞くと落下物や壊れた家具でかなり酷い状態だったとか。
それから毎日ニュースで被害に遭われた方々や被災地の状況を知りただただ暗澹たる思いだ。 お見舞いだの同情だのの言葉では表せない。」
と記していた。
その後、余震が心配されたなかで5時間の手術して頂いて、この歳まで楽しませて戴いてます。
被災された方々、10年経ってもまだまだ 問題が続いてる現実をTV、新聞で見て暗澹たる思いに。
知らない間に涙が滲んでました。
添付写真は、足慣らしに少し遠くのストアに行き、前の桜並木の小さな蕾を〜
「東日本大震災10年」の大きな文字が〜
TVの画像を観ながら、自分のブログを遡って見たら、2011年2月22日から5月26日まで途切れてる。
5月27日は
「お陰さまで無事退院出来ました」と〜
急性膵炎の激痛で2月20日に救急車で入院して、内視鏡にによる胆嚢摘出手術が4月22日。
5月28日のブログには、
「4時間ベッドに寝たきりのときに東日本大震災が起こった。
震度5強だったが避難する術も無くベッドの柵に身を寄せて布団を冠り頭に枕を乗せて踞っていたが不思議と恐怖感はなかった。
若い看護師さんが
「大丈夫ですか? 私ここにいますから」
チラッ見ると入り口でよろけながら踏ん張っておられる。
「私は大丈夫よ!」
と大声で応えたが彼女のプロ精神に感激したなぁ。
自宅に居たらマンションの最上階で一人できっと心細かったと思う。 後で家族に聞くと落下物や壊れた家具でかなり酷い状態だったとか。
それから毎日ニュースで被害に遭われた方々や被災地の状況を知りただただ暗澹たる思いだ。 お見舞いだの同情だのの言葉では表せない。」
と記していた。
その後、余震が心配されたなかで5時間の手術して頂いて、この歳まで楽しませて戴いてます。
被災された方々、10年経ってもまだまだ 問題が続いてる現実をTV、新聞で見て暗澹たる思いに。
知らない間に涙が滲んでました。
添付写真は、足慣らしに少し遠くのストアに行き、前の桜並木の小さな蕾を〜
コメント
_ カーリー ― 2021/03/11 21:05
10年前のあの日、私も孫の所に行っていて、大きな揺れに孫を抱いて、食卓テーブルの下にもぐり込みました。交通機関が止まり、帰宅困難になり、次の日の早朝にずいぶん時間をかけて帰宅したのを思い出します。
_ 美海 ― 2021/03/11 22:24
カーリーさんもあの時は大変な思いをされたのですね。
私も、この歳までいろんなことが有ったと思い出します。
子どもの頃は、恐いもの「地震、雷、火事、おやじ」なんて〜
私も、この歳までいろんなことが有ったと思い出します。
子どもの頃は、恐いもの「地震、雷、火事、おやじ」なんて〜
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