田舎暮らし2011/02/10

野原に咲く水仙
海辺の家から田舎に引っ越した時は私は学校の寮から軍需工場へ通っていたから詳しい模様は知らない。
既に発病していた母と二つの病院を掛け持ちしていた父と二人では大変だったろう。 人手も頼めない世情になっていた。
休日に訪ねると、内装していない2階に荷物が山積みで蔵書は紐で括られたまま転がっていた。

引っ越して間もなく、前の家は大空襲で燃えてしまったそうだ。
知り合いの方に
「お宅は風水害の時も引っ越して無事だったし、空襲も逃れてほんとうに運がいいですね」
と羨ましがられたけど申し訳ないみたいと母が言っていた。

田舎暮らしは馴れないことが多かった。
工場が爆撃で焼失して自宅に帰り、嫁いだ姉も空襲が激しくなったので赤ちゃんを連れて帰って来た。
母は手術のため大阪の病院に入院したから姉と私が家事をしたが、水道 ガスのない生活は初めてだった。

裏の離れた所にある井戸でバケツに汲んで両手に提げて流しの横の水槽まで運ぶのは私の役目だった。
その水を柄杓で掬って炊事や洗い物をするのもコツが要る。 蛇口の有り難さが判った。
流しの水槽は5回くらい往復すればイッパイになって1日持ったがお風呂の水汲みは大変だったなあ。

七輪に火を熾すコツも覚えた。
ご飯は大きなお釜を竃にはめ込み、下に開いた焚き口に藁を突っ込んで火を付け、吹きこぼれて来たら藁を叩いて残り火だけにする。
藁一束で1升くらいのお米が炊けた覚えがある。
これはチョッと面白かった。(やがてそのお米もなくなったが)
でも電気が来てただけマシで今では考えられないくらい不便で労力ばかりが要った。

戦後日本が復興し始めて洗濯機や炊飯器や電子レンジなどが出現すると飛びついたのはあの時の苦労が身に染みていたからかもしれない。

そういう不便さはあっても戦時下の殺伐とした都会に比べて、裏の井戸から見渡す田園風景には心癒された。
今でも田舎という言葉の響きは好きだ。