水の想い出2010/07/06

名水が湧き出ている
最近は水道水を飲まなくなった。 昔のようにカルキ臭い訳でもないし、定期的に水質検査もしてるみたいだから構わないと思いながらも何となく容器に詰められた水を纏めて宅配してもらっている。
先日、残り少なくなったとき、本当に必要なのかなぁとマジで考えた。 なんか馬鹿らしいな、珈琲はこの水を使うと美味しい気がするけど、私ひとりでそこまで凝ることもない。 
やっぱり頼んだ最後の決め手は災害時の水の確保を考えてだった。

子どもの頃の昭和初期には水道の普及率は低かった。
小学4年の時に引っ越した古い家は井戸で大きな手押しポンプで屋根下の水槽に汲み上げて、そこから家中に配管して使っていた。
移って最初に父が病院で水質検査をしてきたのを覚えている。
それまでの水道水より美味しかった。
大きな手押しポンプを背伸びするまでいっぱいに上に押し上げてから降ろすのはきつくて ねえやさんだけでは可哀想、それだけはよく手伝った。 100回くらいやると上の水槽から水が溢れて滴った。
夜など独り漕いでいると屋根の端から見える紺色の空に月がのぞいたり、満点の星が輝いていたり、宇宙の果てしない広がりが美しくもあり恐ろしくもあった。

放課後、皆と遊び回って喉が渇くと小川の水を掬って飲んだりしたがそのために病気になった覚えは無い。 農薬や化学物質の汚染はなかったのだろう。

戦争中疎開してた田舎では井戸から釣瓶で汲み上げてバケツを両手に提げて、台所の水槽に運んだなぁ。
洗濯は田圃の間を流れてくる小川だった。土地の人は野菜やお米までそこで洗っていた。
昭和30年代に山手を開発した土地に家を建てたときは何故かよく断水して少し離れた小学校まで水を貰いに行って、まるで戦争中みたいと思った。
水では結構いろんな経験してる。

海辺の家で暮らしたころは、裏山の散歩道に小さな滝と上に祠があって湧き水が美味しいと評判だった。 遠くから軽トラックでポリタンクいっぱいに詰めていたのは街の飲み屋さんだったらしい。

今は水に恵まれているが、洗濯や植木の水やりには浴槽の残り水を使う。 こういうことは勿体ないが身に付いている。
全自動の洗濯機なのに晴れていれば外に干しているもの。
宅配で水が届いて 水のあれこれを思いだした。

七夕2010/07/07

叔父の残した掛け軸
やっと掛け軸や色紙、短冊を季節にあわせて掛けかえた。
床の間がないから和室の壁に飾ったのは、半世紀前に亡くなった叔父さんが描いたもので結婚当初から大好きだった。
確か七夕の行事に因んだものと聞いたが。
出してみると随分古びたなあ。 保存の悪さに責任者は忸怩たる思いだ。

子どもの頃の関西では正月以外の行事は、一ヶ月遅れだったから七夕は8月7日だった。
夏休みに入ったとこだし、大人の背丈くらいの笹が用意され、母と姉と私はお茶の間の卓袱台の上に色紙や短冊を積み上げて飾りを作る。 短冊を提げるコヨリまでみな手作りだ。
舟の折り紙は簡単、いっぱい切り込みを入れて引っ張るとツリーみたいになる網は楽しかった。
忘れてしまったけど母は器用で様々の可愛いもの作って嬉しそうだった。
短冊には願い事を書いたが覚えていない。兄にヒヤカサレルのが厭で無難な事書いたと思う。
笹に結びつけ、出来上がったのを軒下に立てて縁側から星空を眺めた。 打ち水した庭からの涼しい風、蚊取り線香の匂い、家族5人が何となく寄り添っていた静かな一刻の情景が映画の一駒のように浮かぶ。

今、スーパーに行くと笹が飾られ傍に短冊が用意されているが正直全然関心が無くなている自分がちょっと淋しい。

期日前投票を済ませて2010/07/08

八ヶ岳にて 初夏の爽やかな大気
11日は外出の予定が入ったので、今日参議院の期日前投票を済ませてきた。 並ぶほどの事は無くあっさりと済み、国民の義務を果たした思いでほっとする。

前にも書いたが、私の世代の女性には選挙出来る事に深い思い入れがあって棄権はできない。
明治に選挙制度が出来ても、当初は高額納税者の男性だけに選挙権があった。 後に納税額の枠が広がったが普通選挙が実施されたのは昭和3年だ。やはり男性だけ。
参議院はなく、皇族や華族などで構成された貴族院は勅命で選ばれ終身制だった。
役割分担の社会制度で女性蔑視ではないと言われても、現実は男性社会だった。

学徒動員で工場で働いていたとき。雑談してた年配の工員さんに言われた一言が耳に残っている。
「女の子が学校に行っても、小学校出立ての男より下なんだよ。」
若い世代には理解しがたいだろうな。 いろんな不条理な思いを噛み締めてきた。 庇護されなくてもいい。困難も一緒に乗り越えたい。 でも戦争の傷は男性のほうが深かった。
でも でも 戦争に導いた政治の責任の大半は男性社会だとも思う。

敗戦の結果、与えられた女性参政権だけど、同じ国民として認められた喜びは大きかった。 責任も一緒に担う訳だ。
無力な一票だけど絶対に疎かには出来ない。
国民が納得して信頼出来る政治を心から願っている。

なんかこの問題になると熱くなってしまう。 今の若い世代には違った苦労があるんだよって声が聞こえそうだけど。

iPhoneのカバーを買う2010/07/09

ノウゼンカズラと墨田の花火
アトリエの帰り、iPhoneのカバーを買いにYカメラに寄った。
剥き出しの機器だからぶつけたり落としたら大変と気にしていたが近くのお店では気に入ったのがなかった。
携帯の売場に行くと若い男性二人が IiPhone4のことを熱心に聞いている。 上には「IiPhone4の予約受付中」の張り紙が。
暫く待っていたが、とうとう「おひとりですか?」と遠慮しながら聞くと用件を聞いてカバーのコーナーに案内してくれた。
大まかな説明の後は
「あとはお好みですから選んでください」
iPhoneのカバーだけでいろんな種類のが並んでいるのにビックリ!
何人かの若い人が選んでいたが、こちらは五里霧中だ。
保護フイルムがついていて、手首に掛けるストラップが付いてて、裏のリンゴマークが奇麗に見える透明なプラスチックのを選んだ。
レジに持って行ったついでに他のと比較して夫々の特徴を聞くと、簡潔で的確な説明をしてくれた。 ナンダ最初からYカメラの店員さんに聞けば良かったのだ。 携帯会社の人には専門外で迷惑かけたってことかな。
でも選んだのを付けてみるとスマートでとっても気に入った。
¥1480はポイントで賄えて、得した感じ!

今日もアレコレで疲れたから使い方の本格的な詰めは明日だ。
ダウンロードしたいアプリが幾つかある。

(添付写真はiPhoneで。 まだ慣れない)

選挙の想い出2010/07/10

夏の富士山
テレビの政見放送を見ながら 昔々のセピア色になった情景を思いだした。
父と二人で川縁の道を歩いていた。 小学生になっていただろうか?
今の私からは考えられない無口な子だった。
ふと、選挙の候補者のポスターが目についた。
確か父が投票してきたって話を小耳に挟んでいたので、
「誰に投票したの?」
と唐突に父に話しかけた。 どうしても聞きたいという好奇心もなかったのだが。
父は真面目な顔で
「選挙というのは誰に投票したかは、人に言わないものなんだよ」
何でも対等に話してくれる父だったから、子供心に選挙の重みをずしんと感じた。
母には選挙権が無かったから、家ではそういう話題が出る事は無かった時代だった。

昭和10年代には日本は軍国主義に傾斜して行き言論弾圧の暗い世相になっていく。 議会ではいつも全員賛成で可決。軍人が首相になったとき父が危惧の言葉を呟いたのを私は聞いている。

敗戦後、若者は政治に期待し、それを動かすのは自分たちだと燃えた。 私も選挙権も無いのに満員の演説会を渡り歩き大学生達の社研で論じ合った。

いつから国民は政治に興味がうすれた、いや期待しなくなったのだろう。
私も正直、関心は薄いし、期待もできなくなった。
年齢を考えてしまう。