時間というもの2010/06/12

沖に向かって伸びる突堤
時々刻々と過ぎてゆく時間は年齢とともに加速していくように感じられる。 歳に関係なく皆も言うから現代生活がそうなのかもしれない。
永遠という時間に疑問を感じたのは小学校5年生の時だった。
屋根裏部屋のような自室の窓から夕日が落ちて行くのを眺めていた時、何故か永遠という時の流れを連想した。
今も鮮やかに目に浮かぶ赤々と沈み行く太陽の美しかった情景。
その輝きに宇宙の不可思議さを想ったのだろうか。
未来永劫という言葉は知らなかったが魂も宇宙も永遠に続くという安心感に支えられていたのが 永遠に時が続くってどういうことなのだろう、と考えだすと恐ろしくなった。 気がつくと涙が溢れていた。
こんなこと誰にも聞けない。 大人になれば解るのだろう。だって大人はそんなこと少しも気にしてる様子ないしお年寄りだって楽しそうに笑っているもの。
本を読めば答えは解るのだろうと思った。

あれから70年経ったが答えはまだ見つけられない。
先日内科クリニックに置いてあった科学雑誌をみたら、時間についての特集号だったので読み始めたら順番が来てしまった。
ニュトーンの昨年の5月号だったから帰ってから出版社に電話で聞いたが在庫切れだった。 アマゾンに中古が何冊かあったが頼むのも億劫でそのままになっている。
さっき本棚から「四次元時空の哲学」相対的同時性の世界観 村山章著を久しぶりに引っ張りだして拾い読みしていたら寝てしまった。 題名の割には易しく書かれていて面白いのだが矢張り難しいな。 学生時代に真面目に数学を勉強しておけばよかったと後悔する。
ただ直線的に一直線に伸びていると考えていた時間に違う解釈が有る事だけは解るが、俗人はそれで人生観が変わるような気がしない。 好奇心はある。