少女の友2009/10/20

録画してあったNHK美の壷「少女雑誌」を観た。
懐かしいの一言!  うわっとあの頃の情景が蘇った。

昭和10年代、少女雑誌は「少女倶楽部」「少女の友」「新女苑」などが有ったと記憶している。
我が家では一人に雑誌1冊と何となく決められていて小学生の私は「少女倶楽部」が8日に配達され、女学生の姉の「少女の友」と兄の「少年倶楽部」は10日に届けられた。
その日の待ち遠しかった事! 自分の分は1日で読んでしまい、10日になると姉兄の雑誌を早く読みたいが読み終わるのを待たなくてはならない。 焦れる私を見かねた母から「あんたの本も同じ日に配達してもらう?」と言われた覚えが有る。

姉も早熟だったから「新女苑」も読みたくて、私に「少女の友」を取らせる事を提案した。 お陰で小学3年か4年のころから「少女の友」は私の物になった!
わくわくする記事満載、中原淳一の絵の虜になった。
ひそかにどれだけ模写した事だろう。
ファッションも当時の先端を行ってた。
付録にスタイルブックが付いていたような記憶。
母と姉が選んで、同じ模様の生地を買って仕立ててくれたっけ。
因みに当時は他所行きはデパートか近所の仕立て屋さんで誂え、普段着は母がミシンで縫ってくれたものだ。

川端康成の「乙女の港」のストーリーは忘れたが中原淳一の挿絵ははっきり覚えている。
松本かつぢの絵も好きだった。
宝塚の楽屋話や読者の投稿欄も背伸びしながら興味津々だったな。
1ページ使った絵の投稿欄が有って賞金が20円だった。姉は2回ほど当選してその賞金で機織り機を買い、テーブルクロスや手提げの生地など織って楽しんでいたのも懐かしい思い出だ。

太平洋戦争が始まる頃、中原淳一の絵は戦時下に合わないとの理由で降ろされ、楽しみにしていた表紙絵は夢の無い軍国少女に変わり、もう興味を持てない雑誌になってしまった。
(うろ覚えだがその時の表紙絵は宮本三郎だった?絵としては立派だったが少女には詰まらなかった)

当時の少女達にいっぱい夢を与えてくれた「少女の友」、わたしにもそういう時期が有った事が嬉しい。