友達2009/10/19

以前住んでた家のハゼの紅葉

有朋自遠方来 不亦楽乎(友遠方より来る、また楽しからずや)
久しぶりに遠くから訪ねてくれた友達、2日間お喋りししどおしで、よくもまあ話の種の尽きない事だ。 楽しかったなあ。 感謝!!

話は変わるが、幼い時から友達付き合いは下手だったと思っている。
喧嘩をしたことはないし 方々の家によく遊びにも行ったが親友というほどの付き合いもなくあっさりしていた。
小学生って皆そんなものなのかしら。

女学校に入ってやっと親友が二人出来た。 学校から帰ると鞄を置いて毎日その友達の家に遊びに行く。どちらの家も居心地が良くて甘えていたが大人になって考えると結構迷惑かけたのではないかと思う。 優しいお母様だった。
何をして遊んだという記憶は無い。 お父様の書斎の本を勝手に読みあさっていた。

在学中、我々は特に目立った存在ではなかった。
その一人 Nさんは学年で一番早く実業家と結婚して会うと
「お金のことばかり言うのよ。それだけがちょっとイヤ」
幸せそうだったが学者肌の父親と違う価値観には馴染めなかったようだ。

もう一人のSさんは大阪の老舗の4人姉妹の長女だったから番頭さんと結婚して店を継ぐ事になったのだが結婚1週間で
「こんなん いやや」
とさっさと離婚して大学に入って小学校の先生になった。
「今日はお天気がいいから裏山に行って遊ぼう!」
型破りの先生だったが生徒には慕われていた。
後に特殊学級の担任になり生徒達の下の世話までして親御さんからは感謝され、定年後一緒に街を歩くとあちこちで「先生」と昔の父兄のから親しみと感謝の声をかけられていた。

Nさんは子供さんが巣立ち、ご主人がなくなったあと病院のボランティアに行って包帯まいたりのお手伝いをしていて
「上手く出来なくて看護婦さんに叱られてばっかり」
と笑っていた。 教会のオルガン伴奏もひきうけていたが十数年前に亡くなった。
教会でのお葬式には会場に入りきれないほどの人々が集まり惜しまれたそうだ。

Sさんは今はクラスメートのためにいろいろ旅行などのお膳立てをしたり楽しい企画をして欠かせない人に成って居る。
宝塚の後援会も引き受け先生と呼ばれてその分野でも若いスター達に慕われてる。

二人の親友に共通しているのは人のために労を惜しまない。
理屈より黙って実践して来たことだ。
良い友に恵まれたと思うと同時に自分を省みて忸怩たるものがあり今から少しでも見習いたいと思う。