1月17日の憶い ― 2016/01/17
明日から予定が詰まっているから、と言っても大したこと無いのだけど用心して今日は休養日と決めてたのに。
結局書類整理に追われた。
不精で何でも取って置くから不要なモノでいっぱい、折角電子家計簿にしたのだからスッキリさせたい。
でもTVで京都の女子駅伝をチラチラと横目で観ながら京都の風景を懐かしむ。
一段落して、さあブログをとパソコンに向かったがもう外は薄暗い。
今日は忘れられない阪神・淡路大震災の有った日だ。
1995年1月17日には故郷を離れて数十年経つが子どもの頃を過ごした地は忘れられない愛着が有る。
兄家族や親しいクラスメートの安否も心配だった。
その時のことは過去のブログに何回か記したので、もう書くことは無いけれど朝から頭から離れなかった。
それが辛くて仕事無理に作っていたみたい。
20年の歳月を思う。
震災の後一緒に育った地や六甲山を巡った姉と兄は帰らぬ人になって10数年が経つ。
あの時犠牲になった友や先生を一緒に悼んだ何人かの友人も後を追った。
遠く離れていたのに年月が経っても心の痛みは消えないものです。
結局書類整理に追われた。
不精で何でも取って置くから不要なモノでいっぱい、折角電子家計簿にしたのだからスッキリさせたい。
でもTVで京都の女子駅伝をチラチラと横目で観ながら京都の風景を懐かしむ。
一段落して、さあブログをとパソコンに向かったがもう外は薄暗い。
今日は忘れられない阪神・淡路大震災の有った日だ。
1995年1月17日には故郷を離れて数十年経つが子どもの頃を過ごした地は忘れられない愛着が有る。
兄家族や親しいクラスメートの安否も心配だった。
その時のことは過去のブログに何回か記したので、もう書くことは無いけれど朝から頭から離れなかった。
それが辛くて仕事無理に作っていたみたい。
20年の歳月を思う。
震災の後一緒に育った地や六甲山を巡った姉と兄は帰らぬ人になって10数年が経つ。
あの時犠牲になった友や先生を一緒に悼んだ何人かの友人も後を追った。
遠く離れていたのに年月が経っても心の痛みは消えないものです。
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