気侭に2015/12/01

師走の公園で
ポカッと空いた一日、片付けはイッパイ残っているけれど澄み切った青空には抵抗出来ない。

チョットだけって言い訳しながら公園に出掛けた。
親友と真っ赤になったら一緒にスケッチに来ようねと約束していたモミジはもう盛りを過ぎて冬の気配だ。

散歩にはカメラと簡単なスケッチ用具を何時もバッグに入れている。
裸樹の力強さに魅かれて少し描いてみたが帰宅して眺めると全く未熟。
今度はじっくり画材揃えて挑戦しよう。

最近つくづく思う。
先の見えた限られた時間だが、完成しない願望、知り得ない多くの謎、見ることの出来ない未来が有るから今生きているこの一瞬を大事に楽しめるのだろうと。

柄にもないことを書いていたら無性に昔の本が讀みたくなって脇の書棚を見回すと茶色く変色した西田幾多郎「善の研究」が。

懐かしくてめくると几帳面な夫の字で書き込みがしてある。
彼も戦後直ぐに買ったのだろう。
何十年振りかに読み返したくなった。

今讀めばどんな感想を持つかな。
先ず片付けして今夜の楽しみだ。

友人の展覧会に2015/12/02

友人の展覧会に
友人の出品している展覧会に連れて行って貰った。
バスを乗り継いで30分くらいの繁華な街のビルで地理に弱い私は彼女の後について行く。

会場に着くと、こちらに来て絵でお知り合いになった懐かしい方々にもお会い出来て嬉しかった。
水彩画展で素敵な作品をゆっくり見せて戴いて至福の時でした。

それぞれの個性豊かな作品に、水彩画に迷っている私にはとても勉強もなり刺激も頂いて、もう少し頑張ってみようかななんて。
ほんと、連れて来てもらって良かったです。

撮影のお許しを頂いたので、帰ってゆっくり思い出しながら眺めさせて戴こう。

帰りはS堂に寄ってスケッチペンや画紙を買い、二人でコーヒータイム、お喋りをいっぱい。

バスの車窓からは秋の名残の黄、オレンジ、深紅、茶いろの樹々の景色を堪能して、ホント楽しい一日でした。

バナナスタンド2015/12/03

バナナスタンド
100円ショップが大好きだ。
街に買い物に出たついでに何となく寄って見る。

先ず文具のコーナーに。
ハサミや4色ボールペンなどはすぐ使えるように至る所の引き出しなどに置いているからリーズナブルなのが有難い。
先日は刃が5本重なった珍しいハサミを見付けた。
簡単なシュレッダー代わりになって重宝している。

各サイズのクリアホルダーやノート類もよく使う。
若い頃は銀座の伊東屋に行くのが楽しみだったが、今は実利一点張りだ。

先日、ルーズリーフを買って時間が有ったのでチョットゆっくり広い店内を歩いてみた。

眼についたのがバナナスタンド。
初めて見る。

バナナを房ごと掛けて置くと長持ちするとあった。
朝食には毎日バナナ一本が定番だが、一房買って冷蔵庫に入れていたらすぐに真っ黒になるのが難だった。。

最近やっと常温で保存することにしてマシになったが、何だかこのスタンド便利そう。
キッチンの片隅に置いたらちょっと彩りになって日持ちもいいみたい。

ついでに切れかけていたゲキ落ちくんも。
掃除に欠かせないが、水彩画を描くときも便利に使える。

添付写真が「バナナスタンド」です。

12月の女性像(2回目)2015/12/04

12月の女性像(油彩)F15号 2回目
2週間振りのアトリエだ。
最近は夜更かしして8時前起床のクセがついてるから緊張。
目覚ましを6時半にセットして何とか時刻の電車に乗れた。

アトリエに着くとほっとする。
何時ものように3時間、何もかも忘れて描くことに集中した。
迷いが多くて、未熟さも痛感しながらも至福の時間です。

終わった後、今日は賑やかにお仲間と何時もの昼食で和気藹々だった。
でも最年長になってお世話になることも多くなったなと思う。

帰りにS堂に寄って気になっていた油彩の筆を新調する。
同じメーカーのでも価格の違いは何なのか?
空いていたのでお店の方に聞くとメーカーに問い合わせてくださって申し訳なかったけれど新知識を得ました。

下手でも画材だけは良いものを買いたくてサイズの違うのを6本買って次回が楽しみ。

真っ暗になって帰宅、今夜はゆっくり休みます。
添付写真はまだ未完成の今日描いて来た絵です。

昔の本を2015/12/05

昔の本を
この歳になって脳天気に楽しんでても時にはウツになることも有る。
そんな時に手に取るのが大昔に讀んだ懐かしい本だ。
学生の頃は楽しいことも多かったが青春独特の悩みも多かった。
時代のせいも有ったかも。

先日読みかけたままになっていた西田幾多郎の「善の研究」の続きを夕べ讀む。
戦後この本が書店に並ぶようになったときは学生が並んで買い求めたものだ。

夫がその頃買った本だと思い込んでいたがよく見ると大正十年に再発行されたもの。
几帳面な字で書き込みや傍線が至る所に引かれている。

義父とも思えないから、もしかして戦時中哲学科を志しながら心ならずも別の科に進学した夫の弟さんが古書店で買ったものかしら。

もう確かめる術は無いが、懐かしい思いで讀んだ。
無論、旧漢字旧仮名遣いなのに何の違和感も無く讀めることに我ながら驚いた。
むしろ心地が良い。

内容は私にはムズカシクて理解できてないが何となく落ち着くから不思議だ。