偲ぶ2014/09/23

16歳のころに
今日は秋分の日。
戦前は秋季皇例祭で、子どもは意味も深くは判らずただ学校での式もない休日が嬉しかった。
お彼岸の中日で朝早くからお萩作りの賑わいを、お昼には洋皿に盛った漉し餡、きな粉、黒ごまの大きなのを頂く。

その後は空き地に行くと、何となく友達が集まってきてゴム跳びや石蹴り、ドッジボールなどで秋の日が暮れるまで遊んだ光景が蘇る。
中国での戦争は始っていたが、まだ内地は平穏だった。

お彼岸と云えば亡くなった人を偲ぶ日。
身近に死を意識したのは2〜3歳の頃だろうか。
母の敬愛する姉が、肺結核で亡くなったときに、真っ赤に眼を泣き腫らした母に夜中に起こされ着替えて、船に乗って母の故郷へ連れて行かれた。

大勢の人が白い柩を囲んで泣いていた。
母に抱かれて初めて見る伯母の白い顔の傍に花を置くとまた周囲の女の人が白いハンカチで涙を拭っていた。 忘れられない。

小学校の4年生くらいの時に母の仲良しで、そこの2学年下の女の子とは一緒にバレエを習ったり遊び仲間だった。
そのご主人が急死されて母と二人で駆けつけた。
よく知ってる小父さんの寝てるとしか思えない顔を見て死の実感は子どもには解らなかった。

末に生まれたものは肉親や近しい人の臨終を見送る事も多かった。
若い知人も結核や戦争で亡くなり辛い別れを経験してきた。

ふ〜っと 今日はお彼岸と云う字に別れた人々の顔が浮かんだ。
秋めいてもの思う頃なのかも。

今日の添付画は、女学校の2年生頃、日本画を習い始めて半年ぐらいの曼珠沙華の絵。
稚拙なのが微笑ましくて。