哲学を齧った頃2010/10/09

工房
昭和20年、長い戦争が終わって学校の授業も再開された今頃、何をしていたのだろう。
街に出ればベージュの軍服を着た進駐軍が派手な服装の日本女性と手を組んで歩いていた。 彼らの集会所の様な所では、ボーリングの音が外まで洩れていた。
我々は 夜になると怖いから絶対に外出しなかったものだ。

秋の夜長にテレビも無い時代、寮に帰るとひたすら本を読んでいたな。
あの頃の学生は哲学書を読むのが一種の流行で、西田幾多郎の「善の研究」が書店に入ったと聞くと並んで買い求めた。
内容は覚えていない。

一昨日、アトリエに行く電車のなかで持参した古い「世界の名著」を広げて目次を見たら デカルト、カント、キルケゴール、ニーチェ、フロイト、ハイデッガー、サルトルなどの名前が有って懐かしかった。
うん 一応は読んだのだけど、大海の中でアップアップしていた感じだ。
それでも友達や男の子と議論するために、それに見栄もあったし。
男の子の中には哲学科に行きたいと言って父親から猛反対されたのが何人かいた。「どうやって食って行くのだ」と。

価値観の激変の中で若者も必死に何かを見付けようとしていたのだと思う。
私達の大部分は、哲学の中に答をは見いだせず、徐々に現実に直面して大人になって行った。
80歳になれば悟れるかなと漠然と考えていたが全然だ。

今の学生は哲学書に興味あるのかしら。 悩みの質が違って来て
そういうものに答を求めないのではと想像する。