「無の思想」を読んで2010/10/18

智積院の池に映った空
整形外科へ膝にヒアルロン酸の注射をして貰いに2週間ぶりに行った。 
休み明けのせいか待合室は満員で2時間待った。
束縛された時間は少し難しい本を読むことにしていて今日は
「無の思想 老荘思想の系譜」森三樹三郎著
昭和51年発行で 買った時の事を覚えている。
話題の柔らかい本とこれを2冊レジに出したら若い店員さんが包みながらニャッ笑ったのを見てしまってこちらも照れくさかったな。

東洋哲学、ことに中国の思想は表面的な事しか知らない。
この本は買ったからには読んだはずだが全然覚えてなくて、新鮮だった。 
老荘思想には神は存在しない。
無為自然 虚無自然 人為を卑しみ自然をとうとぶ

1時間あまりで理解できる筈は無いが人為を否定しただ自然に帰れ ということに考えさせられた。
人間は考えることで不幸になったと言ってるようにも聞こえる。
知恵の木の実を食べたことから人類の不幸が始まった聖書の話とも似ている。
昔の中国の人が考えた 無ということの内容に 判らないながらも一種のやすらぎを感じたのは同じ東洋人だからかしら。

「有は無より生ず」と言った老子が今の宇宙科学の最先端を連想した。

老荘の運命論の「知足安分」「運命随順」は貧乏の現実に耐える為の生活の知恵、諦観とも言えるが、今の日常生活の豊かさが幸福感をもたらしているか?
今朝のニュースでも若者の自殺の増加を伝えていた。

じっくり読まないで書いてしまったが、いろいろ考えさせられた本だった。 
死生観の箇所をじっくり読みなおしたいと思う。